Vol.9

チャイコフスキー/交響曲第6番(指揮ヘルベルト・フォン・カラヤン:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

かの有名な交響曲「悲愴」です。このタイトルは、チャイコフスキー自身がつけたといわれています。一気に書き上げ、自分で指揮をして初演をしたものの不評で、その9日後とつぜんチフスに罹って死んだとされています。しかし、自死の説がつよい。

 

クラシック音楽はルネッサンス期にイタリアで始まり、17世紀から300年をかけてヨーロッパ全域に広まりました。北方の果てのロシアでも、貴族たちがウィーンやパリの華麗な音楽を熱心に輸入していましたが、革命後は一変して自国のスラブ民族の音楽が称賛されるようになりました。ナショナリズムの台頭です。しかし、チャイコフスキーは西方のロマン派音楽そのままの美しい旋律を書きつづけたのです。

 

私は、この曲をよく聴きます。なぜならば、美しいからです。あまりにエモーショナルな音楽を嫌う私ですが、この曲はなぜか好きなのです。それはたぶん、ひたすらに美しいオーケストラの響きを存分に満喫できるからでしょう。

 

チャイコフスキーの生きた19世紀末の帝政ロシアでは、キリスト教的倫理が厳しかった。しかし彼は、同性愛者でした。この「悲愴」を作曲したころ、彼は円熟期にさしかかっていましたが、同性愛者であることが当局に知られそうになっていました。それが明らかになれば、シベリアへの流刑という運命が待っています。作曲家としての名誉を守り、悲惨な運命から逃れるために、この曲を初演した9日後、彼は砒素を飲んだのです。

 

15年くらい前でしょうか。私は仕事で、漫画家のジョージ秋山さんと知りあいになりました。ある日の夕方、打ち合わせでジョージさんの仕事場にお邪魔すると、「はぐれ雲」の最新刊をいただきました。そこに、はぐれ雲が息子新之助に「西洋にはチャイコフスキーというひとが作曲した“悲愴”という素晴らしい音楽があるのだよ」という場面がありました。

私はそれを見て、ジョージさんにいいました。

「チャイコフスキーは、ホモだったんですよ」

ジョージさんは、いいました。

「負けたな!」

 

 

2011.6.30