Vol.3

マーラー/交響曲第5番(指揮クラウス・テンシュテット:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

20年ほど前のことです。私は、晩秋のベニスを訪ねました。初めてのベニスです。空港から渡し船に乗って、ローマ広場へ。

私は、このときのために用意していたカセットテープを取り出してウォークマンに収め、スイッチを入れました。マーラーの交響曲第五番の4楽章アダージョ。そうです。あのルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「ベニスに死す」の冒頭シーンを自分自身で再現したかったのです。それは、長年の夢でした。

 

アドリア海の最奥にある沈みゆく古都ベニス。そこを舞台にした、没落貴族監督ヴィスコンティの描く耽美的少年愛。絶対的な美と退廃とデカダンス。トーマス・マンの原作では、主人公は小説家でしたが、映画では作曲家に置きかえられています。そして、それはマーラーの音楽と見事に溶けあい、映画が原作を超えるという稀有な例となりました。ちなみに、トーマス・マンとマーラーは生前交流があり、お互いに尊敬する芸術家として認めあっていたそうです。

 

ベニスの迷宮のような狭い路地を歩きながら、そして映画のロケ地となったリド島のホテル内やビーチを歩きながら、私の頭の中ではずーっとこの4楽章のアダージョが聴こえていました。この世のものとは思えないような美しい旋律を脳内で聴きながら、「ベニスに死す」そのままの景色の中をさ迷い歩くという夢のような体験でした。

 

私は最近、またよくマーラーを聴くことが多くなりました。

それは、マーラーの音楽のもっている切なく、はかなく、やるせない無常観のせいだと思います。マーラー没後、百年。そのひたすら孤高で美しい旋律を、いま私たちは必要としているのです。

「やがて、私の時代がくる」と言っていたとおり、マーラーは、百年後の音楽をつくっていたのです。

 

2011.3.25