女のおしゃべり(2)

女同士の持ち寄り昼食会はもう30年続いている。
女同士の持ち寄り昼食会はもう30年続いている。

もう勤めをやめた、あるいは主婦専業だった女達は、習い事をして体操に参加して、あとは大型スーパーで日常品の買い物、家事全般、これで1週間はたちまち消える。ちょっと時間の余裕があれば、亭主連中のいない日中に、仲間が招待し合って、お茶会、昼食会を持ちまわりで開く。あっという間に5時間くらいはおしゃべりが際限なく続く。テーブルに出された料理の作り方から始まって、子供や孫の近況を知らせ合い、時局のトピックス、近所のうわさや亭主のたわいない悪口を言い合ったりして、小さな女社交で言いたい事を遠慮なく言い合う。お互いに善意があれば、無礼講で上辺だけの愛想はいわない。遠くの客ではなく、毎日のように顔を合わせるご近所さん同志の気楽さと信頼が出来上がる。日本では暇のできた女達はよく喫茶店やレストランに行くようだが、フランスでは自宅に招待する確率の方が絶対に多いし、礼儀にかなっていると思われている。女たちだけで集まるし、それぞれの相棒を連れてカップル同志が集うことはしばしばある。だから、突然思いついたり、忙しければ各自持ち寄りという提案も気軽にできる。16世紀ルネッサンスのベニスやフィレンツエで始まり、17世紀ルイ14世代初期にフランスで大流行した会話を楽しむ“サロン”伝統が脈々と息づいているのかも知れないと思う。

5月というのに夏の陽気。ご近所と我が家の庭で。フランスの男族は女と同じにおしゃべりである。
5月というのに夏の陽気。ご近所と我が家の庭で。フランスの男族は女と同じにおしゃべりである。

年中同じ顔ぶれが集まっても退屈だろうと思いがちだが、さにあらず。親近感や連帯感が生まれて、他にも寛容になる。たまたま訪れた他所からの友人を伴ったり、あそこの家で出会った人は面白そうだから、次の招待に加えようというような事があって、顔ぶれは少しずつ変わる。出会いは例えば、私の町にはない“パソコン教室”があるなら、住人ではない+アルファを少し加算して、この友人の紹介で違う町のクラブ参加も可能だ。

 

女同志が集まっての“おしゃべり会”は、ストレス解消は勿論、日常生活で役に立つ情報の宝庫でもある。便利な台所道具、おいしいパン屋、信頼できる医者、良い工事人情報など、必ずと言うほど詳しい人がいて、イロイロ教えてもらえる。日本人のように、知っていても遠慮して黙っていないのが良い。“便利さ”を伝達されたら、今度はこちらもお返しに生活の知恵を分けることもある。 

 

こうした“サロン”風井戸端会議で親しくなったのがきっかけで、「レモンを買い忘れたのだけど、1つ貸してくださる?」「卵が足りなくなっちゃった。3コほど借りられる?」「プロバンスの息子のところへ1週間行くから、余り物使ってちょうだい」と、バナナ、オレンジ、リンゴが台所に運ばれてくる。「旅行に出るのだけど、バルコンの植木に水をやってくださる? あなたにお願いしたいのよ。」

熟年女同志の会話から、思わぬ“便利さ”という有意義な拾い物までついてくる。

 

長年本格的な趣味があって、それを続行したければ、天文クラブやゴルフ、素人オーケストラが各特技を競う機会や発表会を設けるから、挑戦したら良い。趣味が人を快活にして、希望や目的を暗示してくれる事請け合いだ。「次は、こうしてみよう」と思うことが暮らしの張り合いになる。

 

つまり、こういう井戸端会議による若返り方法は、どこにも誰にも害のない、しかも安上がりだから、女性一般の性向に向いている。不思議なのは、どこのクラブ活動をのぞいてみても、圧倒的に女性が90%で、定年退職した男どもは家で一体なにをしているのだろう。昨今は仲間同士がメイルでの情報交換も盛んになる一方だ。原発とちがって、リスク・ゼロに限りなく近い。人としての「節度」を保つことや社交性の訓練に通じる。

           

日本の政治家は外交舞台で恥さらしな人が多いが、女が先ず家庭で「会話」を持って、男族を訓練しないとダメだ。女だけでおしゃべり会“サロン”伝統は、そもそもの成り立ちから、女性が牛耳っていたものなのだ。小さな輪が大きな輪になり、又選択された小さな輪がうまれたり、社会の活性化につながる。アンチエイジそのものという気がする。

 

女のおしゃべり(1)はこちら

 

2011.6.23