ヘレンの場合(2)

ピーターの仕事は発展途上国の技術援助だ。彼のプロジェクトはそれぞれ2、3年の任期があり、そのプロジェクトをする国に家族で短期滞在する。それが終わるとまたベルギーに戻り、次のプロジェクトの契約があるまでをベルギーですごす。この20年の間にヘレンは夫の赴任に従ってベルギー、ウガンダ、ケニア、そしてフィリピン、とまるで放浪の民のような生活を続けてきた。

長女はベルギーで、ピーターが海外出張中に生まれる。次女はウガンダでの任期中、ピーターがジャングルにいる時に急に産気づき一人で出産した。

 

「出張が多いピーターは、わたしが彼を必要とする時には何故かいつもそばにいない・・・」とヘレンは半分あきらめた顔で笑う。

「よくもまあ、うちの兄貴みたいに気難しい人と一緒にいられるわね。ヘレンだから出来るのよね」と離婚経験のあるピーターの実の妹から言われたことがある。でもピーターのおかげで、インドにいる友達が想像だにしない多くの経験をヘレンは積んできた。

 

最初の赴任地ウガンダでは外国人用のマーケットにすら食料の供給が少なく、限られた材料でいかに工夫して料理をするかを学び、ヘレンは料理作りに目ざめる。フィリピンでは食材の豊富な現地の市場に毎日通った。日々の料理に自分なりのアイデアをくわえ、色々な国の料理作りに挑戦しつづけて、とうとう自費出版で料理の本まで出してしまった。

 

ベルギーにもどり、文学クラブに参加して、沢山の本を読むとともに詩を書き始めた。今年の8月からは、新しい赴任地ベトナムに移動する。今度の赴任地は料理も美味しいらしいが、これからは各地に住んだ経験を生かした紀行記を書いてみたいと言う。

 

ヘレンは今年50歳。3年前に4つ年下の弟が癌で亡くなった。父や母よりも先に一番先に若い弟が逝った事で、彼女は「死」が思ったよりも自分の近くにいるという事に気が付いた。そのせいで、今一番気にしているのが健康だという。その維持のために、食事には特に気をつかっているという。沢山の色の野菜と果物を食べて、いつまでも健康で末長く生きていたいと言う。

あちらこちらに移動してきたあなたにとって終の住処はどこなの、という質問に彼女はしずかに答える。

 

「香料のかおり、色とりどりの果物、湿気を含んだ熱い空気、さまざまな色の衣装をまとった人々が行き来するインドの眩い光が恋しい。でも、今果たして私はインドに住む事が出来るだろうか?インドに住む事は自分の時計の針を逆方向に戻す様な気がする。今の私にとって終の住処は子供と夫のいる所。そうすると、この暗い雲に覆われたベルギーが終の住処なのかもしれない。初めての国のホテルでも、サバンナの寝袋でも、家族がいればどこでも私は安らかに眠る事が出来る。私はどんな所にでも住める世界市民だと思っているの」

 

西欧社会での生活、世界各地への旅行。文化、言語、環境、気候、たくさんのカルチャーショックを経て、ヘレンは自分を磨いてきた。その原動力は何なのか?

 

彼女は「フレキシブルに生きる事だ」と言う。確かに彼女を見ていると、大地にしっかりと根を広げ、強い雨風にうたれながらもどんどん空にのびて行くアジアの竹を思わせる。竹のように柔軟に、そして竹のように強く。世界市民のヘレンは自分の根をどんどん世界に広げていっているのだ。

 

 

2009.6.12