マルティンの場合(1)

ブラッセルの南30キロ。2階まで吹き抜けの広いリビング、そして白とオレンジで統一された明るいオープンキッチン。大きく開いた窓からは牛達が草を食む広い牧草地が見渡せる。 家の中にはかすかなピアノの音。女性の歌声が2階から響いている。カラフルなハイチの市場の写真。アフリカの子供が作った空き缶のおもちゃ。

 

そんな景色の中に、スリムなからだを黒とグレーのパンツで統一して、シャープなフォルムの眼鏡をかけたマルティンがいる。彼女が“マメモ”の生みの母。

マメモはアニメの主人公 、男の子か女の子かわからない小さな子供だ。マメモのパパとママは牛だ。でもこの牛達はマメモの想像力でいろんな物に変身したりもする。子供のいる普通の家族の日常生活が、マメモの想像力でちょっとだけ違った楽しい新鮮な世界に変身する。

 

マメモは想像の世界の言葉も話す。「モモ、ステリステメモ、マメモ、モマメ?」、それが音楽と一緒になってなんだか懐かしい気分にさせてくれるのがマメモのミュージカル・アニメーションだ。

 

マルティンは言う。「普通の人間の平均寿命が75歳だとしたら、私はすでに2/3以上の人世を生きてしまった事になると思う。20代の頃私は何でも出来る気がした。30代は創造、40代は成長、そして50代の今。生きている事は本当に素晴らしい事だと思う。そしていつか私に死が訪れて、子供達への世代交代が出来る事も大切な事だと思う」

 

マルティンの両親はおしどり夫婦だった。厳格ではあるが良く話を聞いてくれる両親。その父親が4年前に亡くなり、当時83歳の母が一人残った。いつも一緒だった伴侶がいなくなり母は1年くらい自分の居場所が定まらないようだった。その後、母は自分の為の時間を少しずつ作るようになり、マルティンは初めて母を一人の女性として、しかも自立した女性として意識するようになった。

 

母は今87歳。一人暮らしをして車を運転し、インターネットで色々な人とコミュニケーションを取ったり、調べものをしたり・・・・と毎日忙しくしている。そんな母を見て、「人間の生きる源は、何事にも興味を持って生きる事なのでは」と思うようになった、とマルティンは語る。

マルティンは30年前、小学校の教師をやめてフランス人の音楽家オリビエと一緒に子供用音楽とアニメを創作するようになる。夜を怖がる子供達の為に『Bonjour La nuit(夜さんコンニチハ)』を作り、マメモが主人公のアニメと一緒に歌い踊るミージカル・アニメーションを劇場で演じるようになった。

 

当時、彼女には3歳の娘と生まれたばかりの息子がおり、職場結婚をした小学校教師のポールとブラッセルで暮らしていた。新しい仕事が始まり、創作活動や演奏活動で忙しくなったマルティンは、そのうちオリビエとも関係を持つようになる。そしていつの間にか、オリビエはマルティンとポールとその子供達の家に同居するようになり、男2人と女1人の共同生活が始まる。

2人の子供達が17歳と14歳になったとき、彼らはハイチから4歳と1歳半の黒い肌の兄妹を養子として迎える。マルティンの2人の子供の父親はポール、養子縁組みをした2人の子供達の父親はオリビエ。そして子供達4人全員の母親はマルティン。2人の夫と1人の妻、2人の子供と2人の養子という7人の家庭。

 

すでに自分の子供がいる上に養子縁組を迎える事も複雑だが、それよりもこの三角関係は嫉妬や誇りなどが絡みとても複雑なのでは? と言う質問に、マルティンは「そんなことは無くて、とても自然にそうなってしまっただけ」と言う。

 

「私も子供達も、そして2人の夫達も一人一人独立した人間で誰の所用物でもないの。私たちは家族という絆でつながっているだけ。 そして私達はその絆を大切にしているの。この絆を断ち切ってしまうより、どうやって上手に絆を紡ぎ、編んで行くのかが大切。たとえその編み方がちょっと他の人と違っても全くかまわない。私にとって、人生は絆の編み方の発明なの。失敗を繰り返して試行錯誤しながら、自分なりに一番いい方法でその絆の編み方を発明することが重要なの。色々な中傷がなくもないけれど、大切なのはその人なりの人生の発明をしたいという気持ち。それさえあれば、誰にでもより良い人生の発明が出来るはずよ」

 

 

2009.5.8

 

マルティンの場合(2)につづく