l'Hôtel Particulier(オテル・パテイキュリエ)-2

From 雪

◆モナコ邸〈現・ポーランド大使館迎賓館〉

鉄扉の奥にみえる威風堂々の前庭
鉄扉の奥にみえる威風堂々の前庭

1772年、別居を決めたモナコの姫君は、当時は畑だった場所、現在はアンバリッド~サンジェルマンに通ずる土地を買い、別れる夫のマテイニョン邸に負けない、自分の階級にふさわしい館を作った。1789年革命で、多くの貴族が国外逃亡して、王政復古の1815年まで30年近い亡命生活を余儀なくされた。英国亡命した姫君は館を英国大使館、時にはオーストリア大使館に貸したりしたが、売りに出された館は英銀行家のウイリアムホープが買い、ほとんど全財産を投じて改増築を行い破産した。

 

その後、かの切れ者外交官タレイランの息子が住み、ゾラ、ショパン、リスト等が訪れてロココ調の宵を繰り広げた。イロイロあった後、1936年ポーランド大使館迎賓館となった。現在は、年に1度国家遺産開陳の日に限って見学が可能だ。

くつろぎの間が続く、各部屋に暖炉がある
くつろぎの間が続く、各部屋に暖炉がある

この種の邸は、金額ではなく、国と国の外交歴史の事情で、売買に政府が干渉する。在仏日本大使公邸は、この迎賓館の前では形無しに見える。なにしろ、天皇誕生日などの祝日招待の客は、やっと中に入ったと思ったら、押し出される様に外に出ないと、狭くて呼吸困難になりそうなのだ。バブルの時、何か手を打てたと思うが、今やそれどころではない。日本が仏国と近密で唯一の外交同盟を結んだこともないし、敗戦国だったのを、苦々しく思い出させた見学であった。

◆ローザン邸〈パリ市美術財産〉

セーヌ川岸の旧市街にある入り口
セーヌ川岸の旧市街にある入り口

17世紀当時一番シックな住宅街、ノートルダム寺院のある、セーヌ河サンルイ島北岸にローザン伯爵が建てルイ13世宰相リシュリュー閣下もココで3年を暮らした。建てられた当時は、グランマドモワゼルと呼ばれるコンデ親王公爵姫君が、恋人を訪ねて頻繁に訪れた場所である。親王家でありながら、ルイ14世に反旗をふるフロンド派の援助をした反逆姫で、その名が有名だ。19世紀始めには、隣の住人テオドールゴーチエなど、ここで緑の茶会(大麻を吸う会=仮想天国体験クラブ)の密会が夜な夜な開かれて、ゾラ、デュマ、プルースト、ヴィニー等芸術家達が集まってきた。窓から真近にセーヌの流れを見て、なんとなく、ベニスの館にいるような気がした。しかし違う。ベニスはもっと妖しい。海風のせいかしら?

 

サンルイ島は、湿気が強く、石の建物も、年中手を入れなければ、朽ちてしまう。4月から、また補修工事のため邸の公開は当分見送られる。

 

見学の後、私の車は時間超過で35€罰金。駐車違反の紙が張られていた。路上駐車は2時間が限度だ。いまいましいが、まあ、パリ市の熱心な駐車違反摘発が、国家指定歴史建造物の改修工事費用にでも回って行くのだと思うことにした。

サロンの2階の金のバルコニーから音楽演奏が行われる
サロンの2階の金のバルコニーから音楽演奏が行われる
まばゆい金色と空色基調の小部屋が続く
まばゆい金色と空色基調の小部屋が続く

世の中をハスに眺める癖のある自由業主婦。
人間相手だとイライラがつのるので、自然風物を愛でる。
但し仙人ではないので、普通の社会生活に準じているつもり。
フランス在住20年。