カレー市の“ジャングル”

カレーの難民

ロダンの彫刻“カレーの市民”でその名を知られるカレー市は、英仏をつなぐフェリーの発着港であり、ドーバー海峡を地下で繋ぐ特急電車ユーロスター・トンネルの出入り口都市でもある。

1.ジャングルの1人用テント内には数人が生活して、通り道のような場所で煮炊きをする者もいる。
1.ジャングルの1人用テント内には数人が生活して、通り道のような場所で煮炊きをする者もいる。

フェリーの埠頭に至る高速道路わきには、延々と続く3m高さのフェンスが現れた。道路に跳びだして、通行車を止めて、乗り込もうとする若い難民たちの無謀さを防ぐためだ。たとえ乗車に成功して対岸イギリスに到着しても、きびしい警備でそこから先に歩を進められる保証はないのだ。

そのフェンスに沿って、簡易テント、掘立て小屋が所狭しと乱立している。写真(2)後方の白い箱の様な隊列は、政府が応急処置にコンテナを改造して、主に未成年者や幼児を抱えた女性を収容している。

いつしか、この一帯は「ジャングル」とよばれるようになった。

2.ジャングルをドローン撮影。遠くの白いコンテナは改造施設
2.ジャングルをドローン撮影。遠くの白いコンテナは改造施設
3.カレー市のジャングル
3.カレー市のジャングル

英国に渡るためにフランスまで来たのに、難民拒否を宣言した英国への渡航が限りなく不可能に近い。心あるボランティアの人々の助けで、飢えや寒さをしのぎながら、「もう、失う物は何もない」と不法侵入を覚悟して、渡航に一番近い場所・カレー市に少しづつ人が集まり、1、3、6ヶ月と住み着かざるを得なかった。16年夏頃までは、難民を装って、イスラムテロリストが難民集団に紛れ込んで、ギリシャからイラク経由でイスラム国に合流しているというニュースも流れて、国境警備はますます厳しくなった。毎日24時間、10人づつ6グループのポリスが3時間交代で、ジャングルの保安警備に当たった。フェンスを乗り越えて、税関通過待ちで行列するトラックの荷台をこじあけて、なんとかすべりこんで、隠れて海峡を渡ろうと試みる人が後をたたない。

4.ボランティアによる、毎日昼夜2回の食事サービスに並ぶ難民達。手前フェンスの2人は警備ポリス。トイレ前も同じ様な行列で、喧嘩もおきる。
4.ボランティアによる、毎日昼夜2回の食事サービスに並ぶ難民達。手前フェンスの2人は警備ポリス。トイレ前も同じ様な行列で、喧嘩もおきる。

苦悩するEU各国

5.あふれんばかりの難民船
5.あふれんばかりの難民船

中東やアフリカから古びた難民船に乗り、船が転覆しなかっただけでも幸い、やっとイタリアやギリシャの島に命からがら辿り着き、めざす英国の方角に歩き始める。何ヶ月かかるのか知らないが、戦争や内線の絶望と恐怖におびえる毎日に見切りをつけて、自国を離れた人々の国籍は様々だ。今年だけでも何百万人もがおしよせて、ヨーロッパ各国はパニックにおちいった。通過経路だけだとしても、そうした人々を拒否して、高いフェンスをめぐらし、警官を配置して、難民が入国するのを排除するポーランドやオーストリア。難民の群れは、警備隊に見つからない様に、山や谷を遠回りして、森の中で方角を失い亡くなった人も少なくない。

TVでは毎日、特派員からの現場ニュースが伝えられるから、たとえ1人だけでも助けようと行動しない自分の存在を恥じながら、問題の難しさに暗澹たる気持ちになる。各国政府も同様、人の道としての博愛心にとがめられても、経済、失業者、おまけにイスラムテロ等、先行しなければ、国内秩序がおさまらない難問が山積みされている。 言葉や宗教、ひいては風俗習慣のちがう人々が、何百人、何千人単位で、毎日毎日押し寄せるのだから、目眩がする。

上陸地の島が見えるころ、すし詰めのぼろ船は、よく沈没して人々は海に投げ出される。海上保安関係者は、見て見ぬ振りはできない。赤ちゃんから老人までのあらゆる年齢、国柄の難民が「死」をも覚悟で、故国を捨ててたどり着いたのだ。2016年10月、今年度だけで既に3800人が海に消え、行方不明は数知れずだと国連人権委員会が発表した。

カレーの市民

さて、カレーの市民のあいだでは、彼等に同情はしても、出現した6400〜8100人といわれる異邦難民の多さに、反発や嫌悪が次第に醸成された。金もなく、不衛生な男達が、分からぬ言葉を使って町中を歩き回り、行き詰まった人間が強盗に変化する日は遠くないと恐怖する。

なぜ、多くが英国へ渡りたいのか?中東やアフリカはつい最近まで英国植民地だった。イラク戦争等が起きる以前にイギリスに亡命した人が他のヨーロッパ諸国より多く住み、保護も手厚かったので、“亡命に適した国”として、遠い血縁をたよって行くという難民が多い。彼等にとっては、英語は他の独・仏語よりとっつきやすいし、「British Moslim」TVなどもあって、故国の情報が入りやすい。ところが、英国は、今回EU圏内で初の難民受け入れを拒否してしまった国でもあり、国民投票の結果EU離脱もした。

6.寄付で集められた衣類をつめて、各修養施設へ移送される
6.寄付で集められた衣類をつめて、各修養施設へ移送される

フランスに移住をしたくて来たわけではない。行く先のあてのなくなった難民が、心ならずも英仏国境カレー市に留まるハメに成った。英仏間ですったもんだの末、寒さが厳しくなる前にと、フランスは全国11ヶ所の施設を用意して10月24,25,26日の3日間をかけて,バス145台で、各地方都市へ難民移送をして、ジャングルの取り壊しをはじめた。月曜日2,318人、火曜日1,696人、水曜日までに5,596人が地方に移り、とりあえずフランス移住を選択した。ボランティアの人々の熱い活動で集められた衣類を、やはり集められた旅行カバンに詰め込んで、バスに乗りこむ彼等の失意や渇望を思うと、すこしでも良き日が与えられる様に願わずにはいられない。やっと雨が入り込まない屋根と、ぬかるみのどろ道でない床、電気・水道・トイレのある場所に眠る事ができる。

最低4ヶ月は、フランス政府保護下で、やみくもに英国行だけを目指さず、フランスに根づいてもよし、生活のメドをたてるような指導をうける。この移転3日間の為に1200人のポリスが派遣されて安全を見守った。渡航中に難破して、親・兄弟が海に消えて、親戚が英国に住む217人の幼い孤児たちは、英国の書類処理に準じて、徐々に英国に送られる事になった。

また主にコンテナに暮らしてきた未成年者1500人は、11月中には仏国全土60ヶ所に用意された未成年者収容施設へバス移送される。一口に「難民」と言っても多種な国、多種な言語の集団だから、各地への通訳者派遣など、“受け入れ”が、いかに困難な事業かは想像に難しくない。しかし、パリ、レンヌ、ナントの3都市では、収容施設となるはずの建物に、意図的な火事がおきて、扉や窓が焼き討ちされた。コノ場所に難民が暮らすのはお断りという、あからさまな示唆である。 そうでなくても、多発するテロのせいで、イスラム信者への葛藤があり、集団難民は“伝統文化を破壊する以外のなにものでもない”といういたずらであろうが、各地市民の感情は複雑である。移転を拒み、すぐにジャングル跡へ戻るのを画策して、姿を消した難民も多い。 難民対策関係筋、特に女性市長(53歳)は、すぐまた“ジャングル”が再現されるだろうと、悲観的だ。

7.ジャングル撤去前に起きた数カ所同時火災
7.ジャングル撤去前に起きた数カ所同時火災

パリ市内東北の19区スターリングラード地下鉄駅周辺歩道には、子供をかかえたシリア・アフガニスタン難民がキャンプ生活を初めていて、排除されては又戻ってくる。此れ等リビア、スーダン等からの難民の総数は300人〜1,000人とも言われていて、夜は高架鉄道下で段ボールを敷いて眠る。彼等の多くは、イタリアの島に到着してから、逮捕を恐れて、昼は寝て、夜になると歩いて森林、山間、谷をこえて、何ヶ月もかけてパリに到着したのだ。最近はカレー市から逃避した難民が、パリのこの地区にやって来るのではないかと心配している向きも有る。

8.パリ19区、高架鉄道下の中央帯空き地を利用して生活する難民。両脇道路のカフェや商店にパリ市民が近寄らなくなって、店は倒産寸前。
8.パリ19区、高架鉄道下の中央帯空き地を利用して生活する難民。両脇道路のカフェや商店にパリ市民が近寄らなくなって、店は倒産寸前。

はたして日本に一度に千人近い難民が押し寄せ続けたら、対応は可能だろうか? はたして、あなたや私は、言葉の通じない、人格もわからない人を家に招き入れて、衣食を差し出し、最低1、2ヶ月でも心おきなく生活を共にすることができるだろうか? 戦争が終結しない限り、不幸は広がるばかりだ。誰の為に、何のために戦争をしたがるのだろう。今に至るまで、欧米はアフリカや中東資源を収奪し、紛争拡大に裏から加担して、難民を生み出す原因を作ってきたのではないか。因果応報と仏様は教えている。

 

2016.12.5