<パリ発>セーヌに架ける愛の鍵 ー 芸術橋の鍵 〜 ポン・デ・ザール ー

From 雪

パリ市を流れるセーヌ川。右岸と左岸を結ぶ「橋」は、現在では37もある。それぞれの橋は作られた時代のロマンと歴史があり、それぞれが異なった美しさでセーヌの流れにたたずんでいる。フランス革命後、ナポレオンが終身の第一統領に就任した1802年に、パリで初めての鋼鉄の橋建築が始まった。その名も芸術橋(=ポンザール)。

この1802年は、江戸幕府が出来てちょうど200年目。1853年ペリー提督が浦賀港で、脅し大砲をぶっ放すまでの、最後の泰平の眠りをむさぼっていた頃(1867年、明治維新)の事。芸術橋右岸のルーブル(当時「芸術宮」)、左岸のアカデミーフランセーズと二つの文芸の殿堂を結ぶ。年かけて作られた橋は、これ迄回の大修復が行われ、現存のはパリ市長時代のシラックが1964年に完成式を挙行した。そのシラック大統領は、201211月末80歳の誕生日を祝われたが、残念にもご本人は既に年越しのアルツハイマーで、衰弱気味であるという。所行無情である。

橋は長さ155m、幅11m、右岸と左岸の橋入り口に、10段ずつの階段がついていて、両川岸よりも高い位置に架かる工夫がされている---地域が水害で交通止めにならない防備。橋の中央は切り石の基礎上に板が渡されていて、他の橋と趣が異なるのは、ここが歩行者だけで、車が通れない橋でもあるからだ。橋の名に似つかわしく、ミュージシャンの演奏、画家が小品を並べる、寸劇、パントマイム、花園創造等、青空の下での芸術発表の場のようになった。人は忙しく、あちらからこちら側に通り抜けるだけでなく、そこに立ち止まる様になった。欄干の鉄線越しに、粋な誰かが錠前をつけ鍵でロックして、鍵を川床になげ落とした。さあ、鍵に閉じ込められた二人はもう離れられない。愛人同士の破られない約束の証。錠前は2つ3つと増えて、今では数えきれない程の数になった。結婚しても半分は離婚すると云われるパリ人の永遠を誓う願望か、はたまたうわさを聞き込んだハネムーン観光客の思い出作りか。芸術橋アムールの鍵、鍵、鍵。

 


2013.2.4