フランス共和国・第25代大統領誕生!

4月30日 第一回選挙勝利 ブリジット夫人と舞台に登壇
4月30日 第一回選挙勝利 ブリジット夫人と舞台に登壇

5月7日、最終決勝戦の午後3時ごろからマクロン優勢のこだまが聞こえるようになり、投票締め切りの20時ピッタリには、勝利者が暫定的得票率と共に発表された。

王政が廃止されて、共和国になり、今までに一番若くして大統領になったのはナポレオンの40歳、後に自身を“皇帝”に祭り上げた。マクロン新大統領は39歳で、共和国史上一番若年ということになる。

決勝戦を勝ち、家族とルーブル宮、ピラミッド前に設置された舞台から
決勝戦を勝ち、家族とルーブル宮、ピラミッド前に設置された舞台から

新大統領の宣誓式のための舞台はルーブル庭園ガラスのピラミッドを背景に設置されていた。大統領確定の政府公式発表があり、22時30分に勝利宣言がされると決められた。ルーブル広場は厳重警戒体制となっていて、空港のような厳しいチェックを物ともせず、老若男女の行列の人並。この季節、夜9時まで空は明るい。広場は人、人で埋め尽くされていく。ミュージシャンやダンサーが待ち時間に楽しみを提供していたが、舞台の照明が消えた。 第九の音楽が流れ始めると、マクロン新大統領のシルエットが現れ、ピラミッドを横切りながら、しっかりとした足取りを運ぶ。全く一人で彼が舞台へ上がるまで3分30秒間は歩みに合わせた照明が移動する。広場は1万人近いとされた支持者たちが薄暗がりの中で、演出効果に固唾を吞む。素晴らしい期待への静けさは、彼が舞台への階段を登り始めると、”プレジダン、プレジダン”轟々たる歓声が広場を埋め尽くした。支持者への”メルシー”と公約を遵守する宣誓の後、選挙中何かと好奇心のマトになっていたブリジット夫人が壇上に現れ、ついで家族全員が現れて、程なく全員退場。さっぱりとした、優れた効果抜群の演出だった。

「右派でも、左派でもない」を掲げて、“En Marche”(=前進)を旗じるしに大統領選出馬を表明したのは2016年11月。社会党オランド大統領に抜擢されて、経済産業、デジタル大臣に任命された、わずか3年間が彼の政治的経験でしかない。”選挙”というものを自ら戦ったこともない。30年40年と政治畑でしか生きてこなかった議員たちは、過去の踏襲でない、社会が変化してきているのだという事実を受け入れざるを得ないだろう。

ピープル向き雑誌の表紙、ブリジット夫人と2人の娘/マクロンと母
ピープル向き雑誌の表紙、ブリジット夫人と2人の娘/マクロンと母

東京都知事の小池さんと同じように、マクロンには公約を作動させるに必要な政党母体がない。議会運営の困難が予想される。6月11日/18日に国民議会議員選挙があり、総数570名が選出される。5月10日には、政党名を(La République en Marche)(=前進する共和国)として、立候補者募集を開始していて、5月11日時点で、既に428名の候補者名簿が内定して、更に1週間以内に150名が加わる。現時点で、男女同数の在野人(例えば、数学フィールズ賞のセドリック・ヴィラーニ等、政治経験の少ないオリジナルな人材を希望していると言われる。3期15年以上の議員は、候補拒否する。このため、ワルツ前首相は希望を断たれて、話題になっている。)ネットを含め、一万五千人が応募しているそうだ。

既存の二大政党であった社会党は、分裂の危機に陥っていて、既に3つ位の小独立政党になりそうな兆し。議会で多数を占めた党派から首相を任命する法律があるので、共和党は、結束をはかり国民議会で多数を獲得すべく、マクロンの政策批判を強め戦闘的になり、勝利宣言の夜が明けると、もう早速に自由貿易、多文化主義で移民受け入れに寛大な新大統領への辞任要求の、お決まりの労働者デモが始まった。前途多難は想定内だった様で、選挙に加担してきた周辺は今の所自信を見せている。

“サルコジー、オランドと二代文学的でない大統領の後、我々は哲学的大統領を得た” さる、評論家がマクロンについて述べた一言は、言い得て妙である。 胸に手を当て、支持者たちのマルセイエーズ大合唱に和するマクロンには、良き、誇り高きフランスを取り戻してもらうしかない。

 

2017.5.18