beautiful life

今日もよく働いて疲れた・・・。家でホッとくつろぐ時、お茶を入れてゆっくりするのもいいし、アロマキャンドルを炊いて音楽に身も頭もゆだねて癒されるのもいい。季節の花があったら目も癒される。音は耳を通り過ぎて心を廻り消えていく。香りもそう。お茶もひとときを過ごすためにある。今、綺麗に咲いている花は日々形を変えていつかは枯れる。消えてなくなるものだから、いつも出会ったときは新しい。

花道を始めて7年になる。中学生の時にも習ったことがあったけれど、自然な形のものをためたり、切ったりして形を作ることに、どうしてもなじめず止めてしまった。それを再び始めたのは、引っ越しをしてリビングに気のきいた花のひとつも飾りたい、という軽い気持ちからだった。再開して数年が経つうち、花にも顔や体があることに気が付いた。もし、カメラマンに写真を撮ってもらうとしたら、自分の顔や体をなるべく綺麗に撮ってもらいたいと誰もが願う。花だって、そう思っているに違いない。自然のままの美しさも確かにあるが、その場にふさわしいお化粧や見繕いをするのが大人である。花もまたそうで、野山や庭に咲く花の美しさと、人の手で生けられた花は違う。私が習う流派の初代家元は「花は生けたら、人になるのだ」という言葉を残している。そして『いつも美しく、いつも新しく』生けろと教える。いつかは枯れる花を、生きているうちに最大限活かしてやりたい。

 

今年96歳の私の花の師匠は、まさに『いつも美しく、いつも新しく』を地でいく女性で、現代の空気を十分に吸って今を生きている。「私は今の世の中を生きているし、今の人たちを教えているんだから、昔にこだわってばかりもいられない・・。」「狭く深くでも、広く浅くでも、大切なのは何かに興味を持って生き生きと生活することが大事。やじ馬的な感性や好奇心って必要だと思う。」と言う。『いつも美しく、いつも新しく』あるためには、手の届かない『美』へ向かって一生懸命に手を伸ばそうとする気持ちが大切。そのぶん、ずっと夢を追いかけ、夢を持ち続けられる。だから、挫折しないこと。と教えられた。

 

先生は基本以外は型を決めつけたり、押し付けたりはしない。花は心で生けるものだと言い、何を表現したいのか、何がしたいのかが大切という。生ける人の感性を尊重し、その上で出来上がった作品を評価する。大切なのはバランスだと常に言う。だから、どんなにベテランが生けた花でもバランスの悪い作品には手厳しく、私のような者が生けた花でも良いものは良いと評価する。公平で、先生自身がとてもバランスの良い心を持っていらっしゃると思う。アンチエイジングの鏡のような女性だ。長い年月の苦労や悲しみを乗り越えて、男前に生きる96歳はカッコいい。若い人に接して元気をもらうのは良くあることだが、私は96歳の先生に会うたびに人生に希望が持てる気がする。エネルギーがわいてくる。心も穏やかになれる。私たちも年を重ね、その場にふさわしく『いつも美しく、いつも新しく』ありたい。

 

先日のお稽古では、チューリップとミモザを生けた。「楽しい花ね。貴女は、こういう花が良い。」と褒めて下さった。茎の長い、スタイルの良いおしゃれなチューリップも喜んでくれたかな?

 

2011.3.22