はならびリポート(3)

通常2年程かかるといわれる矯正治療だが、このペースでいくと来年のゴールデンウィーク頃には終了するかもしれないと言われ、気分も上々だったのに、治療をスタートしてから年弱、2009年夏にブリッジが邪魔をして上の歯が動かないという。何事も計算通りにはいかないことがあるものだ。そこでブリッジを切断し、すでに失っているまん中の歯を取り除いた。壊したブリッジは治療終了後に新しく作り直すことになる。思わぬ出費だが仕方ない。さらに、この時期の治療として、就寝時にヘッドギアという装置を使用するらしい。それは文字通り頭に装着して、その両側から出た器具を奥歯に付けて後ろに引っぱるものらしい。らしい、というのは結局、私にはこの装置を使用せずに別の方法がとられたからだ。

10月になり上あごのまん中に小さなインプラントを打ち込み、そこにワイヤーで出来た器具を装着し、そこを支点として奥歯を引っぱる治療が始まった。これがヘッドギアの代わりとなり、四六時中奥歯を引っぱるから効率が良いと言う。インプラントの場所は上あごのまんまん中。舌に触って気になることおびただしい。ワイヤーの器具を取り付けた時には口いっぱいに異物を突っ込まれたような不快感。第一、思うようにしゃべれない。ただでさえ滑舌が悪いのにタ行、ラ行は正しい発音不可能。無言の時も口の中の針金が気になって、私の身体の中でいえばほんの小さいパーツのはずが、頭全体ぐらいの大きさに感じられる。食事の時は今までの矯正器具の掃除なんて、まるで問題にならないくらいの大変さ。もちろん、歯の表面の装置にも食べ物は引っかかるが、口の中の装置にも引っかかる。上の歯は前後にブラケットがついて、いわば針金のサンドイッチ状態だ。そろそろ冬にさしかかり、鍋物の季節になっていたが、さすがの私も外では緑の菜っ葉類は敬遠し、鍋を覗いて、もっぱら豆腐や白身魚を捜した。

 

こうして、苦しい思いをしながら年を越し、治療が終わるかもしれない春が近くなっても、いっこうに終わる気配がない。それどころか、ある日、口の中をやけどしたのか、舌で触るとプクットした火ぶくれのような小さなふくらみが出来た。翌日には直るどころかいっそう腫れが増し、鏡で覗き込むと通っているはずのワイヤーが半分見えない。ワイヤーは半分だったのかなぁと気なことを考えながら、それでも気になって先生に診てもらうと「肉が増殖した。」と言うではないか。増殖する肉なんてお腹だけだと思っていた。ワイヤーの刺激で増殖した肉がワイヤーを巻き込んでしまったのだという。肉に巻き込まれたワイヤーを切断して取り除いた。もう少し遅かったら切開しなくてはいけないところであった。

それでも人間はおかれた状況に慣れるのだ。口の中の装置はもう自分の一部のようで、掃除も歯磨きの一環。いつ終わるのだろうと、時々イライラして先生を困らせて、タ行、ラ行だけは曖昧ながら季節が変わっていった。インプラントを打ってから1年2ヶ月、2010年暮れにインプラントを抜いて口の中の装置を外した。歯の表面にはまだ装置がついていたが、口の中がからっぽになってホッとするはずなのに、なぜか心もとない変な感じ。

年が明けて2011年。微調整をしながら春が過ぎ、5月27日にようやく全部の装置を外した。治療を始めてから2年半が経っていた。歯の表面のブラケットが取れたために唇は格段に閉じやすくなった。快適なのに、慣れてしまった状況に別れを告げる、あっけないような不思議な感覚。

 

いつのまにか揃っていた歯でかじったアンパンのまあるい歯型。矯正前は蒲鉾や羊羹をかじるとデコボコの歯型がいやだった。今、アンパンの歯型はにっこり笑っているように感じられる。歯並びが変わって、丸かった頬がわずかに細くなったというオマケもついた。

 

器具を外して7ヶ月。今でも矯正途上だ。壊したブリッジが年内にようやく完成する。角度がついたまま永い年月使っていた上の前歯は、それなりに噛みやすいようにすり減っていて、正しい角度に戻った今は、すり減った部分を埋める必要も出てきた。今は揃った歯が動かないように、透明なマウスピースのようなものを常にはめている。ブリッジが完成してからは、また新しいリテーナーという器具をつけるらしい。果てもなく続きそうだが、これも健康管理の一環、アンチエイジングのひとつ。バリバリと健康的に咀嚼する魅力的な年寄りになろう。

 

 

2011.12.27