心を無にして・・・

月に一度開かれる坐禅会に参加するようになって一年以上が経つ。毎日の生活の中で、たとえ一人静かな時間があっても、坐禅をし、心を無にするというのは難しい。立派なお寺の敷居は高くて(緊張しそうで)、いつかは確かな場所で体験してみたいとの望みも、躊躇して実行できないでいた。そんな時、たまたま知人からこの座禅会の事を聞き、予約も不要、参加無料なのも、自宅からそう遠くないことも初心者には嬉しく、ドキドキしながらも早速行ってみた。

 

そこは外からはとても想像のできない、都会のホテルの中にある驚きの場所だ。エレベーターを降りると、もう都会の喧騒を忘れさせる静かで引き締まった空気が漂う曹洞宗宗務庁の研修道場のフロア。ホテルの華やかな空気とは一線を画す仏教空間が広がる。

 

初めての参加者はまずは別室で指導僧の方にお作法を教えていただくことから。合掌(これは相手に尊敬の念を表す作法)、叉手(立っている時、歩く時の手の作法)、入堂の仕方、隣の人や向かいに座る人への挨拶の仕方、足の組み方、手の組み方等々の作法を一通り頭の中に入れて、文殊菩薩さまが祭られている道場に足を踏み入れる。壁に向かい、丸い坐蒲(坐禅用の布団)にお尻をのせて足を組み、膝とお尻の3点で上体を支えると自然と背筋が上に伸び、上半身がぐいっと一直線になる様な感覚だ。目は閉じず自然に開き視線は1m先に落とすのだが、意外と視点を定めるのは難しく、一点をじっと見つめていると畳の模様が3D映像の様に立体的に盛り上がってきたりして・・・

女性 坐禅

坐禅中にいろいろな思いや雑念が浮かんでくるのは仕方無い事だが、これを追いかけまわしてはいけない、善いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、悩み事とかにとらわれないよう、流れのままにとの教えも、最初はやはり俗人なのでそう簡単にはいかないが、とにかく呼吸をしっかりと深くお腹の底まで満たし、ゆっくりと吐く事に集中するしかない。ただ、不思議なことに、身を調え、息を調え、心を調える努力をしていくと、次第に過去や現在の雑事も何も感じなくなり、ただ、今ここの自分だけ、今の時間だけに向き合う事になってくる。日常から心が切り離されてあるがままだ・・・と後でそう気づいた。

 

坐禅とは何かと問われても私にはうまく答えられないが、坐禅によって、心を無に解放され本来の自分自身にたちかえり、そして今、この時間を生かされている事に感謝したくなる。静かに呼吸のリズムを調えるという事は、つまり心と体を平常に保つことにつながるのだとわかる。終わった後は心が軽く、余分なものがそぎ落とされた様にすっきり。そうしてまた次の月にも時間があればここに足を運ぶようになっていた。

 

坐禅を終えてホテルを出ると、目の前にはいつも煌々と明るくそびえ立つ東京タワーが出迎えてくれるのも素敵なことだった。しかし今月は、東北の大震災で灯りを消したその姿はひっそりとしていた。でも展望ルームの外側にLEDライトで「GANBARO NIPPON」のメッセージが。思わず涙が溢れる。心を平常にして頑張ろう。

 

 

2011.4.25