憧れの・・・

遠くからそおっと眺めているだけで心ときめき、シアワセな気分になれる・・・。そんな淡い恋心を抱いた、花も恥じらう乙女の頃が確かに私にもあった。それが年を重ねると、芸能人やスターや有名人ではなく、身近にときめきを感じることの出来る憧れの対象が居ない、悲しいことに。

 

富士山

それだからという訳でもないが、近くて遠くて最大で遠大なる私の憧れは富士の山。なぁんだつまらないと思うだろうが。何故かいつも私についてまわる富士の影・・・。結婚した相手が富士を頂く静岡県人、富士見台中学の隣に新居を構え、今の住まいは富士見坂脇。自宅ベランダからもその美しい姿をしっかりと見ることが出来る。さらに、極めつけは私の誕生日の2月23日(フジサン)が富士山の日に制定されたのだから、もうこれは「前世?でつながっていた」か、私の守り神か、絶対何か縁があるはず。

 

日本人ならみな、「一生に一度は日本一の富士山に登ってみたい」と思うことだろう。はるか遠くから眺めるだけで心いやされていた私も、一度だけその禁を破り近づいた。53歳の時だ。腰痛を抱えて周囲からは無謀だと言われながらも、頼りになる高校の同級のスポーツマンに連れて行ってもらい、登頂し、幸せにもご来光も拝むことが出来た事は、夢の世界に一瞬入りこんだかと思う感激の時だった。もう二度とそのような機会は無いだろうと思うからこそ、ただ一度のそれは、私にとって永遠に心の宝物となる憧れの山との逢瀬であったに違いない。富士山はどんな時も美しく悠然として老若男女を分け隔てなく受け入れるけれど、決してその凛々しさを優しさには変えようとせずに神々しく毅然とした姿を崩さない。それこそが大昔から多くの人々の心をとらえて離さない魅力なのかとも思う。

 

朝起きるとまずベランダから身を乗り出し、そこに美しくも遥かなる「私の富士山」が見えるかどうか確認する。澄み切った空にその華麗な姿を現していたら朝から嬉しくて、気持ちが弾んで自然と動きも軽くなる。(ただし、意外と見える日は少ないのだ)
そういう日は夕陽が沈むころの姿も絶対に見逃せない。オレンジに彩られた空に浮かぶ三角形のシルエット(なんて上品なスタイル!)に魅了される至福のひと時なのだから。あの頂に私は立ったのだと思うとますます恋しくもあり、心が温まり、幸せな気分。

 

時には心にさざ波もたつし、悲しい事もあれば、心が折れそうになることも。その様な時には雄大で少しも動じない、変わらない姿で周りの全てをも従えて美しくそびえ立つその存在は、人も皆同じ大自然の中にいるのだという思いにさせ、心を緩やかにほどき、全ては小さな事なのだ、くよくよしても仕方がないと元気にさせてくれる。憧れというのは、人に若さとエネルギーと生きる力を授けてくれるものなのかしら。

 

2010.4.19