感動は質の高い情報から!

イギリスの作家、オスカー・ワイルド氏の言葉に、「自然は芸術を模倣する」というものがある。

 

私たちは美しい風景があってそれに感動していると思いがちだが、実は以前見たことがある美しい絵や写真と同じような場所に行ったときに、「ここは美しい」と感じるらしいのだ。しかも、たとえば海のように、実際の風景は変化に乏しく味気なくても、頭のなかのフレームに切り取られた絵は美しく見えるらしい。ということは、頭のなかに美しい絵や写真を多く蓄えた人ほど、ものごとに感動ができるのだ。情報がまったくないのに感受性が豊かというのは、あり得ない。

 

私は富士山が大好きで、富士山を観るたびに感動するのだが、それは幼い頃に毎夏を過ごしていた藤沢や江ノ島の海岸で観た富士山の記憶が呼び覚まされているのだと思っていた。しかし、オスカー・ワイルド氏的に考えてみると、その後に観た美しい富士山の映像や写真などが、私の頭の中に上書き保存されて、更に美しい記憶になっているということになる。

富士山

このあいだの休日、早起きをして大洗濯をしたときのこと。マンションの屋上で洗濯物を干し終えてエレベーターに乗り、自分の部屋のある階へ戻る途中で、初老の女性が乗って来た。「おはようございます」と私が挨拶をすると、「屋上寒かったでしょう! 富士山観ました?」と聞くので、「アッ!観ませんでした!」と答えると、「とってもきれいですよ。観ていらっしゃいよ! よかったら家に来て観る?」とまで言ってくれた。私は勿論、彼女のお宅へのお誘いはお断りしたが、声をかけてもらったことを感謝しつつ、屋上へ逆戻りして富士山を観た。

 

真冬の凜とした空気の中、純白の富士山は格別に美しかった。「早起きは三文の得!」いや三文どころではない。富士を拝んだその日は、清々しい気分で幸福感に溢れ、とてもいい一日になった。

 

どうして富士山を観るだけで、これほどまでに幸せな気持ちになれるのだろう。「あれかな?」「これもかな?」と私の記憶の中にある富士山を突き詰めて考えてみると、何年か前にTVで放映された、富士山を撮り続けているあるカメラマンのドキュメンタリーのことを想い出した。

 

きっと富士山をマンションの屋上から観た瞬間に、その記憶も含めて私の頭の中にあるいろいろな情報が一気に溢れ出したのだろう。情報の引き出しが多ければ多いほど、人は幸せを味わえる瞬間が増えることが実証できたわけだ。

 

人生の円熟期に向かうこれからは、今まで以上に意識して美しい絵や写真、そしていい音楽に触れて、大いに感動していきたいと思っている。

 

 

2013.2.15