たのしい瞬間、たのしい季節

俳句を始めて7年くらいになるが、ブランクもあり一生懸命取り組んでいたのは2、3年にすぎない。所属する結社の名は藍生俳句会といい、その頃は活動的な黒田杏子主宰のもと年上の方々と季節ごとの森羅万象を求めて句会に参加し、俳句は机に向かうものでなくアウトドアのすべての事象を感知しながら詠むものだと教わった。

 

四季折々、自然は休むこと知らず変化し続け、たとえば歩くのをふと止めて立ったまま言葉を手帳に書き留めているその瞬間は、もう二度とやってこないのだった。 俳句は、漁や猟に似て瞬間をパッと捕まえるもので、決して頭で作り上げるものではなかった。その瞬間に立ち会うだけで、なにかを頂いたような気分になったものだ。

 

自然のなかには夕方咲いて次の朝にはもうしぼんでいる花もあるし、わたしたちが生きている間には見届けることができないほど長い年月をかけて育ってゆくものがあったりする。 生命のサイクルは様々だが、すべてがそれを全うしようとして日を浴びていたり、水を吸い上げていたりする。

 

アンチエイジングって、生まれて育って老いていくそのサイクルにあらがうものなの?
ううん、ちがうな、と思う。

 

アンチエイジングは本能だよ、と思う。花も木もいまその瞬間をほんとうに何も考えずに(当り前か)、精一杯生きている。 それがアンチエイジングそのものじゃないの?


いまその瞬間を無心に生きることが、アンチエイジングじゃないの。死の直前まで、悔いなし!それだけなはずだ。 そして、人間にそれを置き替えると、生きる欲望や感受性をどこかで全開にしとけ、ということになるんじゃないか。

飼い猫は今年19歳になった。18歳の頃から後ろ脚がおぼつかなくなった。部屋を走っているときに転ぶ。転んでもアレ?というような顔をするだけでまた走りだす。少し後ろ脚をかばえばよいのにと思うが、まったくそんなそぶりもない。トシヲトッタノカナァとか、モウワカクナイシとか思っているふうはない。走るのがおもしろくて走っている。猫は死の直前まできっとそうだ。今が楽しくて、今日を生きるのに豊かで、生きている。

 

アンチエイジングのヒントは、ヒトじゃない生き物から受け取ることもある。

 

2009.8.1