気にしてない

羽田をハブ空港にというニュースが流れて数日。出張から帰る新幹線の中で旧友の死を知った。お葬式はすでに20日ほど前に終わっていた。

 

旧友は飲酒が度を越すことがあったが、危ない目にあってもすんでのところでにやっと笑って生き延び、正々堂々と老いを表現し続ける人のように思っていた。気づいたらここ3年、年賀状のやり取りだけで最近の情報を全く知らず。ただ、60歳で逝くのはあまりにも悔ししかったし、いまも悔しい。

 

数日後、加藤和彦の自殺を聞いてとっさにむっとして「更年期うつじゃない?」と言った。今までできていたことができなくなっただって?冗談ではない。もともとできない人のほうが世の中には多いのに。 いい気なものだ。…ホルモンバランスを崩した人のつらさも忘れて、そう思った(本当は自殺であっても病死なのだ)。

 

誰もかれも逝ってしまう。心の兄たちがどんどん逝ってしまう。おいてきぼりのようなのだ。うまく涙が出ない。これが50歳代のわたしたちの佇む場所なのだと思うしかない。

 

ホルモンバランスの乱れで自律神経がおかしくなると、感情を制御することができなくなることは経験済みだ。 昔の話だが、初産の後の数日、ほんの些細なことで感情が乱れたらもう止まらなかった。 荒野に自分一人しかいないようなあの気持ちを今でも覚えている。そんな心持ちが数年続いたら、と思うと恐怖に駆られる。

 

「更年期うつ」はいつだって扉の外にいて、隙があれば入ってこようとしている。 白状すれば、そんな思いと日々細かく闘っている。「うっそぉー、いっつも元気じゃない」と言う人の顔が目に浮かぶが、そんなもんじゃござんせんよ。 戦いですよ、これは。シンクロナイズドスイミングの水面下状態ですよ。ほうっておけば日常のほんの些細なことから、精神を病ませてゆける自信がある。

 

気にしてない。

 

そう言い切り、そう思い込んでいたことが実は心の中に根を張り、 日常のいたるところで自らにしぶとくマイナス要素を引き寄せ続けることを知っている。その「根」は深く、
「わたしは元気だ、わたしは人より若く見えるしセンスもある、頼りになる相方がいる」等々の やわな自尊心などが届かないところにあり、過去の「気にしていない」記憶を次々に連帯して育つ。

 

しんどいな。

 

このままだとまずいな。そう思ったら、手にシャベルを持ち「根」を掘り起こしに行くしかなくなる。(*)この「根」こそ、土に埋もれた見たくない自分自身そのもの。それに会いにこちらからシャベル持参で出向いて行くのだ。この作業を下手でもいいからやり慣れておくと、精神的にずいぶんいいように思う。ホルモンバランスの乱れは、このシャベル自体がぐにゃぐにゃになってしまうことで、そうなる前に使い慣れておきたい。


こんにちは50歳代。人は人に助けられるという面もあるけれど、自分でしか自分を助けられないことのほうがずっと多い。そんなことが身にしみる。

 

*「根」の掘り起こし作業は、外から見ると「一日中ソファにひっくり返って、ときどき「ううっ」と独り言をいうおばさん」にしか見えないので注意。 花咲く乙女よ穴を掘れ、というフレーズが頭に浮かぶが花咲く乙女ではないことは確かだね。

 

 

2009.11.13