京都の街なみを夫婦で散策。今日も新しい出会いが待っている。

よく歩く。着物を着ていても草履でも意外と疲れないので、美術館やギャラリー巡りなどで歩くとたちまち5キロ歩いたりする。東京に行くともっと歩く。地下鉄、地下街、駅から駅へ。

年を取ると自分では気付かないうちに背中が丸くなって歩いていることがある。自分でも自分を意識した時どきりとする。歩く姿勢によっては本当の年齢よりも上に見えたりする場合もあるので気をつけているのだが、油断ができない。客観的に自分を見ることを心がけたい。

腕の付け根を意識して肩より後ろにすると、こころもち胸を張るような感じになるがそれが嘗ての姿勢のようだ。気が向いたときに腹式呼吸もしながら歩く。無理せず楽しく歩くようにしている。

京都では夫と建築探訪と称して趣味と仕事を兼ねた散歩をよくする。京都生まれでもあり建築の専門家なので、素晴らしいガイドをしてもらいながらの散歩。

小さな路地に入り込んで思いがけず素敵な町家を見つけたり、著名な建築家の設計の家を発見したり、季節の移ろいを感じながら、若い人のように手を繋いで、おしゃべりをしながらゆっくりゆっくり転ばないように歩く。 日本中のあちこちがそうだが、ここ京都の町でいつも思うのは、植物を大切にしているということ。町家の軒先には植木鉢が所狭しと庭のように色とりどりの季節の花を咲かせ、通りすぎる人を楽しませくれる。中にはすっきりと、それはまた見事に何も置かない様子が潔く美しい玄関先もあるが、植物が暮らしの中に生きて活き活きとしている様は、通りすがりのこちらまで元気をいただき、癒しもいただけている。

あるとき、植物に水やりをしている方に、いつか庭に植えようと言っていた梅花空木(ばいかうつぎ)の花が植木鉢に咲いていたので、綺麗ですねと話しかけると、挿し木をして増やしたら差し上げますと言ってくださって、後日伺いますと言っておきながら、しばらくして何度もそのあたりの家を探すのだが見つからないままになっている。京都はそれくらい小さな路地が多く迷うラビリンスの世界だ。

 

そうそう、先日は朝の散歩の時に町家の二階で洗濯物を干しているお隣さん同士が柔らかい京都弁で会話をしていた。素朴な機織りのカシャンカシャンという音なども西陣あたりを歩くと聴くことができる。まだまだこのあたりは古い京町家の姿があちこちにその頃の時代の香りを放っている。


散歩の途中に意外な場所で美味しそうなパン屋さんやお蕎麦やさん、可愛いギャラリーを見つけるのも楽しみのひとつ。疲れたら美味しいカフェで休憩。家の近所には昼行燈や粉屋珈琲、など、美味しいコーヒーを淹れてくれる行きつけの珈琲屋さんがある。珈琲も勿論、美味しいのだが店主の個性もまたお店の魅力のひとつ。特に昼行燈さんは、事実お休みも多く、お客様に毎朝お休みメールが届く。メールがこない日は開店ということ。いつも、メールが来なければいいなあと思う。

京町家の珈琲・昼行燈さんの魅力は、お客様がいつも何かしらお土産のお菓子を持ってきて他のお客様にも振る舞う習慣があり、そこで知り合った方と楽しい交流が始まるということ。

店主のひとくちお笑い話も面白い。わたしは、こちらでフランス人の著述家でパリと京都を行き来してらっしゃる常連さんのドミニック・ローホーさんに出会いました。彼女は「小さいものと豊かに暮らす」という本をメディアファクトリーから出版している。

この時わたしたちも小さい小さい京町家に暮らしていますということで、そのまま家へご案内することに。彼女の本を読んで感心したのは、日本や京都の小さいものを取り入れながらシンプルに美しく暮らしてらっしゃるということ。参考になり、見習うことの多い本だ。

この出会いも散歩から生まれた宝物。

それから、お天気の良い早朝には、ときどき簡単なおにぎりやサンドイッチ、魔法瓶にほうじ茶、果物などを籠に入れて近くの建勲神社から続く船岡山に登ります。山といっても丘のようなものですからわたしたちにぴったりの山登り?です。ここでは土の道をしっかり踏みしめながら豊かな緑を、季節の移ろいを楽しみます。漂う雲や飛ぶ鳥を目で追いながら、自然に浸っていろいろな話をするのも楽しい。ここからは街が一望できるのも魅力のひとつ。

 

 

2014.7.1