篆刻「喫茶去」

9月には中秋の名月「お月見」と言う風流な夜があります。

日本には自然を愛で愉しむことがたくさんあるように思います。

桜の下でお花見、蛍鑑賞の蛍狩り、川の水音を聴き涼みながら食事をする川床、そして秋の月を愛でるお月見、紅葉の下を散策する紅葉狩り、雪を見ながらお酒を飲む雪見酒など私が思いつくのはこんなところですが、きっと地方各地でまだ色々な事がありそうです。

風鈴の音色で涼しさを感じたり、虫の鳴き声で秋を感じたりする耳を持つのは日本人の得意とする才能らしいのです。自然豊かな日本に生まれると、季節を愉しもうとする力が身についてくるのかもしれません。

以前にNHKの日曜美術館で観た「明治の工芸、知られざる超絶技巧」は息を呑む繊細な美術品ばかり。象牙の形をそのまま利用した筍の象牙彫刻は絶句するほどの素晴らしさ、自在置物という甲冑士が作る自由自在に鱗まで動く蛇の置物、動き出しそうに眩しいばかりの孔雀の日本刺繍や、大作の滝の風景画を微妙な色彩で繊細に刺した日本刺繍など、きらびやかさを抑えた品格のあるものばかりです。なんて精密で完璧な技巧を身につける国民なのかと、感じ入るばかりでした。

自然豊かな日本の中で、また自然を愉しむことを知っているからできることのようにも思いました。

今回の篆刻は「喫茶去(きつさこ)」、禅語の三文字です。喫茶去とは、嫌いな人にも一杯のお茶を差し出せる余裕と言うことのようです。

まずはお茶でもと相手をねぎらう一杯のお茶は、理屈抜きに差し出す一杯こそが禅の心に通じるそうです。日常のあたりまえの光景ですが、お茶を差し出すことほど、私たちの心を自然に写し出すものはないようです。

印材は2.5cm×1.3cmの巴林石(ぱりんせき)を使用しました。露草の葉にキリギリスが乗った絵はがきに印を捺し、季節を愉しむ事にします。


今回の手作り品は緑の鉢ふたつです。

手作り品というのもおかしいのですが、ひとつはノブドウの4年もの鉢です。

小さかった苗は今では直径1mにもなり、長く枝垂れて庭の真ん中で優雅な姿になりました。

もうひとつは5年もの、宿根草ばかりの和の苗の寄せ植えです。

ヒメシャガ、ノブドウ、ワレモコウ、フウロ、ベニチガヤなどを植え、苗の周りに白砂などを敷き和風の鉢を楽しもうとしたのですが、今ではそんな面影も無くそれぞれが鉢一杯に育ち、さらによそから舞い込んだミズヒキとワイルドストロベリーの種が、私の予想に反して何ともいえない面白いものに出来上がったような気がします。

今、庭にあるふたつの鉢は私のお気に入りです。


 

 

2014.9.12