はじまりのうた/BEGIN AGAIN

新聞の映画評を読んでチラリとは気にしていた映画だったのだが、それほど期待をしているわけでもなかった。そこへ友人からその招待チケットが舞い込んだ。2月は私にとって、1年でいちばん苦手な季節。これを乗りきるエネルギーが湧き上がってこず、ひたすら不調を引っ張っていた。そんな私に、この映画はどんなクスリよりも効果があった。

はじまりのうた
http://hajimarinouta.com/ 公式サイトより

舞台はニューヨーク。かつて、音楽界で一斉を風靡した、50歳を目前にして妻子と別居中の落ちぶれた元グラミー賞受賞音楽プロデューサー、ダン(マーク・ラファエロ)。

そこに、シンガーソングライターの才能を秘めた、しかし音楽仲間の恋人に先にデビューされ、さらに彼に浮気され、失意のどん底にいるイギリスから訪れているグレタ(キーラ・ナイトレイ)が現れ、その二人が出会うところからこの物語は始まる。

彼女が、友人に連れられてやって来たライブ・バー。グレタはそこでギターを片手に歌うはめになる。その歌を偶然、ダンが聴くことになる。そのシーンが印象的だ。音楽プロデューサーとしての本能がダンの中に一瞬にして蘇る。いきなり歌うことになり、調子のでないグレタの歌。反応する客はだれ一人いない。しかし、ダンは違った。べろべろに酔っぱらっていたにもかかわらず、カラダの中に電流が走ったように立ち上がり、彼女の歌に釘ずけになる。グレタが歌っている最中、ダンのイマジネーションの中では、勝手にチェロが、バイオリンが、そしてドラムが次々に参加する。彼女の曲がどんどん厚みをまし、色彩豊かに、立体的になっていくのだ。そのグレタの素朴な歌から、ダンの想像の世界の演奏編成に変化していくあたりの演出がすばらしい。音楽プロデューサーの頭の中とはこういうものかと思った。

ダンは彼女を口説き落とし、「ニューアルバム」を作ることにする。しかし、お金がない。

グレタの友人の楽器を借り、後払いでもいいと言ってくれる売れないバイオリニストやピアニスト、かつてダンのおかげでリッチになれたと言ってくれる音楽家たちの支援を受けて、ダンとグレタの挑戦が始まる。

ダンのアイデアで、録音は全て屋外で。ビルの間の裏路地で、ビルの屋上で、地下鉄で、NYの街のあちこちで、キーボードからドラム、バイオリン、チェロ、エレキギターまで参加してグレタの歌を録音していく。近くで遊んでいる子供たちにアドリブでバックコーラスをさせたり、ダンの10代の娘のベースギターも飛び入りで入れさせたり。ダンでなければつくれない、型にはまらない自由な音楽の世界が展開されて行く。車のクラクションも、人々の話し声も、電車の音も、街から聴こえてくるノイズすべてが、実は音楽なのだと改めて教えてくれる。

グレタが別れたばかりの恋人に思いを伝える声も、即興で作った曲を友人と一緒に録音、留守番電話に送るのだ。なんて、素敵なんだろう。元カレも彼女の素晴らしさに気づかないわけが無い。もう一つ、忘れられないシーンがある。音楽家のグレタとダンがお互いの音楽コレクションをシェアするシーンだ。ひとつの音楽ポットから流れる曲を二つのイヤホンで聴く。音楽が大好きなふたりが、お互いのこころに棲みついている音楽の魂を共有し合うのだ。夜のNYの街をひたすら音楽を聞きながら歩き続けるふたり。恋人でもない、親子でもない。しかし、お互いのこころに棲みついている音楽の魂が共感しあっている。ふたりは道路脇に座り込んで、こんな会話をする。 グレタが「退屈な日常も音楽を聴いていると世界が変わる。真珠の時間になる」と。ダンが「長く生きていると、その真珠の時間がその真珠をつないでいる糸だけになるんだ。でも、今、この瞬間は真珠だ」と。

音楽好きの私には、このふたりの会話がとてつもなくこころにしみた。ふたりの作ったアルバムは、ダンの元パートナーにも認められ、音楽界へデビューすることになった。しかし、そのあとのどんでん返しが感動的だ。そして、新しい生き方を決意するグレタ。もう一度家族との絆を取り戻すダン。この監督はアカデミー賞も受賞している「ONCEダブリンの街角で」のジョン・カーニーだ。監督も脚本も、文句無し。音楽を聴きながら、街を歩くとき、こころの景色が一変する。あの喜びを、映画を観ている全員に体感させてくれたのだから。春が待ち遠しくなった。ヴィバルディーを聴きながら、桜並木の下を歩きたい。

最後に、グレタの恋人役を絶妙な演技と歌唱力でこなしてくれた名脇役は、あの音楽バンド「マルーン5」のボーカリスト、アダム・レヴィーン。彼の高音の歌声がいまも、耳に残る。

人生はいつも切ない、そして素晴らしい。

 

「はじまりのうた」公式サイトhttp://hajimarinouta.com/

 

2015.2.24