アンチエイジングと自然の法則

このところ海外出張が続き、日課にしている朝のウォーキングが滞ってしまった。帰国して久しぶりに寒い息を殺しながら、いつもの道を愉しんでいたら、あまりにもはかない季節の移り変わりが目に止った。ほころびかけていた梅の花びらが、静かに色あせて絶えていた。ついこの間まで、優しい可憐な香りで朝を迎えてくれたのに、私はそれを有難く満喫することもできずじまいになってしまったことを、そのたおやかな残り香に悔いた。自然の法則に従い、草木花々は静かにたくましく生きている。誰にも気づかれずにたたずみ、言葉もなく去っていく。

たとえ雪に覆われた木々でも、根元に雪は積もらない。そこには木の熱があるからだ。春の木肌に耳をあてると、地面から水を吸い上げる音がゴーゴーと聞こえるそうだ。


自然にもアンチエイジングなる時間軸があるのだろうか。「老いの法則」を考えるとき、草木とは反して、人間は時を迂回するのではなく、“二度と戻らない一刻”を是が非でも留めようとする。そんな傲慢さがあるような気がしてならない。その傲慢さは、人間の生身を痛めつけるだけのように想ってしまう。もっと、人間も生物の一部なのだから、身体の内なるエネルギーを生かして、浄化して、微笑んでみよう。時間軸をもっと大きく刻んでみよう。そうすれば、呼吸が楽になり、雑踏の都会でも晴れた日には遠くに聳え立つ山々が見え、排気ガスに埋もれた街路樹にも季節鳥が足を休め、さえずっていることに気づき、心の中の時間は緩やかになる。そして、老いることの怖さを少しでも和らげることができたら、外見の若さを尊ぶより、内面の充足感から生まれるエネルギーで、もっと凛とした生きかたを謳歌できるのではないかとおもう。さあ、明日も、歩こう~。

 

 

2010.3.23