ヴィクトリアの場合(1)

ベルギーの「結婚届け」は、役所での15分ほどの法的儀式がある。結婚するカップルとその証人二人さえいれば、役所の助役(市長の補佐役)が宣言文を読み、二人が誓いの言葉を交わすだけ。教会での式がない場合には、それに指輪の交換、誓いのキスと役所の書類にサインをする。これで法律的に正式な結婚をしたことになる。

 

2004年の春。オレンジのドレスに同色の花飾りを髪につけたアンと、グラデーションのあるグリーンのドレスを着たヴィクトリアの二人の花嫁が役所の前にたどり着いた。たくさんの友人達とアンの両親がすでに役所の前で花嫁たちが来るのを待っていた。

 

でも今日の結婚式には花婿はいない。

 

2003年、ベルギーはオランダに次いで世界で2番目に同性愛のカップルの結婚を認めた。カトリック国教の国としては初めてだ。

 

アンとヴィクトリアは5年前から同棲しているレズビアンのカップルで、この法律改正とともに正式に結婚することを決めた。同性愛者に対しては、欧州でもまだまだ多くの中傷がある。それだからこそ二人が結婚する事で、この新しい法律を自分たちなりに支持する事が出来るのでは、というのが彼女達の考えだ。そしてもちろん、二人がカップルとして正式に結ばれる事は彼女達の愛の証でもあるからだ。

 

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裸足ではとても熱くて歩けない白い砂浜、南極の海流がそのまま上昇した濃紺の冷たい荒海。 南米チリの海辺町ビニャデルマールで、スペイン系移民の次女としてヴィクトリアは生まれた。

 

白熱の猫一匹いない裏通り。暑さを避けるためにブラインドを下ろした暗い室内。黒い服に十字架を掛けた祖母。行きそびれで毎日ミサに通う伯母。中年太りでカード遊びに忙しい母親と年子の四人姉妹達。そして隣りの港町バルパライソでワイン業を営む父は、女だらけの家には時々しか足を向けない。高校を卒業したヴィクトリアは家を出て、120キロ離れた首都の美術大学に進学した。

 

床の穴からアスファルトの道路が見える埃っぽいバス、暗い表情の乗客達。 政治的スローガンが書かれている道路側の壁は安ペンキで塗りつぶされ、ところどころに弾丸の跡が残る。街は戒厳令が出て、夜11時以降の市民の外出は禁止される。唯一この街で活発に動き回っているのは、あちらこちらの街角に立つ完全武装で銃を持つ兵士たちだけだ。

 

サンチャゴ。この街で1973年9月11日クーデターが起こり、アジェンデが亡くなり、ピイノチェの率いる軍事政権が生まれた。そして、それに反発した3万人もの人達がどこかに消えてしまった。ヴィクトリアはその当時、静かな海辺の町に住む15歳の少女だった。

 

ヴィクトリアは4年間の美術大学を卒業後、大学に残り講師をしていた。ある日、学生たちの政治集会に参加して警察に捕まる。たった一日だけの刑務所の経験は彼女を震え上がらせた。そして、その時に出会ったあるチリ人の女性に強烈に引かれる。ヴィクトリアは初めて自分がレズビアンであることを認識する。その女性とのつかの間の恋。そして、その女性はベルギーに亡命する。

6ヶ月後、ヴィクトリアは彼女を追ってベルギーに行く。 が、その時すでにヴィクトリアが恋焦がれる女性はベルギー人の男性と結婚をしたばかりで妊娠していた。傷心したヴィクトリアはベルギーでの滞在許可を得るために学生をしながら色々な職業につき、苦しい生活の中で絵を描き続ける。そして、ベルギーでの24年の月日が流れた。

 

ヴィクトリアの場合(2)につづく 

 

 

2009.4.3