ヴィクトリアの場合(2)

ヴィクトリアはある日アンに出会う。アンは少女の時から自分がレズビアンであることを家族や友人に話していた。様々な中傷があったがアンは自分に正直に、そして強く生きていた。アンと同棲をするようになり、ヴィクトリアの悩みは、どのようにしてチリに住む家族に二人の関係を話すべきかだった。

 

ある日電話が鳴った。ヴィクトリアの一番下の妹がベルギーに遊びに来ると言うのだ。もちろんアンとヴィクトリアの家に泊まる事になるが、ここにはダブルベットの寝室が一部屋あるだけだ。ヴィクトリアは翌日、電話を取って母に思い切って告白した。母は優しく、「なんとなくわかっていたわ。」といってくれた。そして、妹がベルギーに来てくれた。

 

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ヴィクトリアの絵には色がない。デッサンの間違えなのかと思われるほど体の線が曲がった男たちが、灰色や茶色の絵の具の中でうごめいている。彫刻はその反対に、赤や青の原色の釘や針が一面に刺さった男の頭だ。この男たちはいったい誰なのだろう? 彼女の作品の中の男たちは何を語ろうとしているのだろうか?

 

ヴィクトリアは言う。「なぜアートには裸婦像や母子像といった理想化された女性ばかりが描かれていて、裸で横たわる男たちや、子供を抱く男たちが描かれていないのか?」だがビクトリアの絵の中の男たちは、彼女によって理想化された男たちではない。現実の女性(社会)を直面視出来ない男(人間)たちなのではないだろうか?

 

2008年9月27日、ヴィクトリアの50歳の誕生日。その日の朝、ヴィクトリアはサンチアゴにあるVILLA DE GRIMALDIを初めて訪れる。ここはクーデター後4年間にわたって、反政府運動をする人たちを拷問にかけるために使われた家。クーデターから36年たった今、その当時の様子を一般に公開している。この家は、学生だったヴィクトリアが毎日バス通学をしていた通りに面している。そしてその当時も、閉ざされた門の裏で4500人もの人々が無言のうちに拷問にかけられていた。

この拷問の家を訪れた日に、ヴィクトリアはサンチャゴの美術館で初めての個展を開いた。 広い会場には沢山の友人やジャーナリスト、そしてヴィクトリアの家族の顔も見える。父はすでに亡くなり、女たちばかりの家族がヴィクトリアとアンを温かく見守っている。

 

ヴィクトリアは言う、「この私の50歳の誕生日の日に私はふたつの違う顔をしたチリ人に会えた。 悲しくつらい過去を持つチリ人達と、優しい未来のチリ人達に」。

 

役所の助役が結婚の宣言文を読み上げる。

 

「汝はヴィクトリアを妻と認めるか」

アンは「Oui」と誓う。

「汝はアンを妻と認めるか」

ヴィクトリアも「Oui」と言う。

「これにて二人を妻と夫として認める。」という助役の言葉で参列者からかすかな笑いがもれる。助役はあわてて、「法律改正と共に宣言文も改定しなくてはなりませんね・・・」とはにかむ。

 

誓いの言葉の後の指輪の交換。そしてアンとヴィクトリアの熱烈なキス。二人は晴れて結婚した。

 

ベルギーでは、結婚式の会場から出てきたカップルに子沢山を願ってお米をまく習慣がある。でも、彼女たちは子供を作らない。役場の出口では、友人達が会場から出てくる二人を今かいまかとばかりに待ちかまえていた。歓声が沸いた。二人の花嫁は友人達が吹いた七色のシャボン玉に包まれる。そして、シャボン玉はフワフワと青空に飛んでいった。