父のありがとう

五月に父が亡くなった。C型肝炎と分かってから長年付き合っていた主治医の怠慢で発見が遅れに遅れ、癌が見つかった時には直径5cmにもなっていた。当然手術はできず。それが返って功を奏して余命半年を宣告されてから積極的な治療はせず、実に7年を生きた。享年84歳。いつの間にか平均寿命を越え、在宅看護を徹底したせいで普通の暮らしが長く、入院期間はわずか10日で済んだ。

 

父の面倒を見てきたのは長女と、最後の一年は友だちのようになんでも頼める間柄になっていた長女の旦那さん(義兄)だった。私は二女で、彼らが懸命に父を看てくれているお陰で、家の事は気にせず仕事に精を出していられた。

 

家から出てしまうと、生家のさまざまな事象などは、忙しいからと放っておけば自然に片付いているという体のもので、自分の問題として父母の老化による困難も引き受けようともしなかった。それを許してもらっていた。

 

平均寿命が延びるに従って、家族の中で、誰かが高齢者を助けながら暮らすことになる。その人もまた50代、60代の人たち。新聞やニュースであれほど言われていることが自分に起きて、やっと「ああ、このことか」と分かる。老人を取り巻く現状、介護認定の厳しさ、そんなものを短期間で知った。

食べ物に口うるさかった父がいなくなり、食の細い母が一人残った。たまに電話をする。
「お昼食べた?」
「食べたよ」
「今日は何を食べたの?」
「ありあわせだけど」
すでに、本当に食べたものかそうでないのか怪しい。娘に心配を掛けまいとする心は健全だが、自らの食に関しては心もとない介護1級なのだ。義兄が見かねて、お弁当持参で通っている。

 

父の遺品に朝顔の種とその花のスケッチがたくさんあったので、四十九日に額に入れて渡すことができた。これまた大量に出てきた日記の最後の1年は長女夫婦への「ありがとう」が毎日毎日毎日書いてあった。長女はそれを読んでまた泣いている。

 

まるでアンチエイジングな話ではないのですが、結論だけ書くと、人は幾つになっても大切なのは人柄と思ったことです。仕事で介護をしている人も、いつか自身が介護される側になったときも、自然にお礼の言葉が言えるかどうか、ありがたいなぁと思えるかどうか、とてもとても大事なことだと思いました。

 

 

2010.07.12