<パリ発>パリのバルコニー

From 雪

典型的オスマン様式のアパート。前面両端にある丸屋根は、オペラ座界隈オスマン通りにあるギャラリー・ラファイエット等のデパートに類似屋根が存在する。   
典型的オスマン様式のアパート。前面両端にある丸屋根は、オペラ座界隈オスマン通りにあるギャラリー・ラファイエット等のデパートに類似屋根が存在する。   

ナポレオン3世から、その失墜時までオスマン男爵に委ねられたパリの都市大改造は1853年〜1870年の17年間で、現代の私どもが見るような「世界の首都」たる景観を得た。不衛生だったパリに光と風が入るブルバード(=大道路)が出現した。日本史で言えば、ペリー提督が浦賀で開国を強要してから明治3年までの間の出来事だった。以来、古い建物の外観を遺しながら、パリの建物の内部は近代化が進んでいる。10年前にはまだお目にかかれた、古い映画にでてくるようなエレベーターは、ほとんど見当たらないし、建物の最上階にあった昔の女中部屋は改造されて、“スタジオ”と呼ぶ一部屋だけの貸しアパートだったりする。オスマン式アパートを外側からよく見ると3階部分のバルコニーは広く、窓も背高いことに気がつく。エレベーターの無い時代、即ちこの部分が建物中で一番高級スペースだった。時代が下がって、エレベーターが普及してきた19世紀末期から20世紀には、アパートは上階にいくほど値段も上がるようになって、6階部分には建物にふさわしいという規制の元で、バルコニーを取り付けて最高級スペースに格上げされた。とはいえ、そもそもの始めから女中部屋にたどりつく階段は、ご主人様一家が使用する大理石階段ではなく、裏側のせまい木造階段だった。だから、今でも重い立派な扉の裏は、広い部屋用と狭い部屋用と2機のエレベーターで貧富仕分けが判然としている。

パリ市内を高いところから見ると、屋根という屋根に、今は役にたたない煙突が林立しているのが分かる。昔は各部屋に暖炉があって、薪や石炭で暖をとった名残りだ。石作りの建物と、実用にはできない装飾化した大理石の暖炉に憧れるアメリカ人や日本人は多い。 

 

バルコニーの鉄アーチも時代の流行を繁栄して、モチーフのスタイルが変わっていくが、今回はオスマン様式建物に風情をそえるバルコニーだけを見学したい。部屋の窓を開放できるという実用性もあるが、バルコニーの外観が建物に何となくロマンチックで柔らかな雰囲気をあたえると感じるのは“ロミオとジュリエット”のせいかしら?

世の中をハスに眺める癖のある自由業主婦。
人間相手だとイライラがつのるので、自然風物を愛でる。
但し仙人ではないので、普通の社会生活に準じているつもり。
フランス在住20年。

2011.5.27