漢検1級に挑戦!手と頭を動かして、脳を刺激しよう

最近の若い人は漢字が書けないと、判で押したように一般的に言われているけれど、これは若者だけの問題じゃない、大人だってこのままで大丈夫?とこの頃危機感を抱くようになった。 パソコンや、携帯での漢字変換が当たり前、難しい漢字は、読めても書けない、実際に書く機会は激減・・・。必要に迫られて、いざ書くという段になって、え~この横棒2本だったかしら3本だったかしら?と不安になる自分に呆れてしまう。曖昧にごまかして済ませることも多くなった。

テレビのクイズ番組での漢字問題に唸り、思い出せず回答できない事に悔しさが募ることも。

これは年のせいで脳が機能しなくなったのか、便利になった生活の変化によるものなのか。

50歳過ぎてから、年の初めには、今年は何に重きを置こうかと、秘かに心に決めて過ごすことにしているが、そこで今年、私は決めた。

自分で書くことの少なくなってきた今だからこそ、今年は「自分の手で、ペンを持って、紙に書く」という手作業を重視する事を。ただ何も目的も無くて書くだけと言うのもずっと継続していくのは難しい。

お尻に火がつかないと一生懸命になれない怠け者の私、思い切って漢字検定受験を見据え、テキストを購入した。使われなくなった脳細胞に働きかけ、刺激を与え、更に指先を動かして書く事で鍛える。漢字検定試験は年3回実施されるが、6月にはとても間に合いそうも無い。 特に期限に制約は無い自由な身なれど、とりあえず決めておかないと心が緩みそうなので、今年度中の受験を目標に。

かつては漢字だけは任せて!と言えるくらい自信があった。息子が小学生の頃に、まだあまり一般的ではなかった漢検に一緒に挑戦し、息子は4級、私は無謀にも少々勉強しただけでいきなりの1級受験。息子は合格、当然合格と思っていた私は数点足りずで合格証取得ならず、反省・・・。

そんなことがあったことも意識の奥から消え、鍛練も怠ってあれから30年近くが経過した。

あの頃の柔らか頭と比べてみれば、現状はあまりに情けなく、何とか納得できるところまで自分を持っていきたい。うまくいかなくても、日々の暮らしに何も変化も影響も起きないだろう。でも少しでも満足感の様なものを感じられたら、心のなかにまた違った化学変化がおきるかもしれない。

先日タレントの萩本欽一さんが、認知症予防の為に駒澤大学の仏教学部を受験し、見事入学を果たしたとのニュースで「マイナスになることばかりだけれど、それはいいの、何かプラスすればいいんだから」というニュアンスの言葉でインタビューに答えていた姿が、とても自然体で気負ったところも無く清々しかった。70歳を過ぎても楽しんでチャレンジする姿に、さらに背中をぐいっと押された気がする。

私の好きな言葉の一つ

「明日死ぬと思って生きなさい  永遠に生きると思って学びなさい」 ガンジー

人間の脳は新しい経験や知識や出会いを通して活性化すると言われている。何かを学び続けることは生きていることの証でもあり、それに伴う苦楽を実感することも人生だ。

漢字や文字言葉を操るのは人間だけに与えられた特殊能力、それを存分に使えないのはもったいない。筋トレと同じで、脳にもある程度の負荷をかければ、現状維持以上の効果が現われると言い聞かせ、なかなか覚えられず、悪戦苦闘している姿を俯瞰して面白がっている自分もいる。そうだ、楽しんで気楽にやっていけばいいのだ。

さて、いつかは、若かりし頃出来なかった合格を勝ち取れるだろうか。

とにかく考えただけで終わらせないで、やってみる。無駄ではないと思うことにした。



2015.5.15