まともな正義感 〜シモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil)〜

アカデミーの征服で。
アカデミーの征服で。

跳んで 跳んで 飛躍の卯年になりました。

 

新年にふさわしくフランスで万人にもっとも愛でられている女性の1人シモーヌ・ヴェイユさんのハナシをしたいと思う。ちなみに男性側のトップはここ数年フットボール選手で、少しもオゴッタ態度をみせないジダンだ。このアンケートは理想の人へのフランス人の憧憬が現れる。毎年、広く国民アンケートによって男女別に好感度ある10人ずつが選ばれている。

 

ヴェイユ女史は2010年3月アカデミー・フランセーズの殿堂入りを果たした。1635年来(=ルイ13世代から)続くこの国立学士院は各分野の功績者、定員40名の終身制である。ノミネートされても40席が埋まっていたら、空席があるまで待たなければならないし、待っている間に自分の方が先に亡くなってしまって殿堂入りを果たせなかった著名人もいる。かくいうヴェイユさんも空席になるのを1年半待たされた。席が確定すると、大統領も出席して荘厳な式典がTV中継される。アカデミー会員だけが身につけられる制服、黒地に金糸刺繍の大礼服は実に典雅で、伝統をみせつけられる。

儀典式の楽屋。先輩アカデミシアン達に囲まれて伝統の「小剣」を確認しあう。
儀典式の楽屋。先輩アカデミシアン達に囲まれて伝統の「小剣」を確認しあう。

 

ヴェイユさんは、1927年7月、ニースのユダヤ系両親のもとに生まれ、第2次世界大戦中一家はアウシュビッツ収容所に運ばれ、彼女と妹だけが生き延びた。法律と政治学を学び司法官として働き、その正義感ある言動に目をつけられて保険省大臣など歴代内閣に貢献して、ユダヤ人や女性差別と闘い、欧州議会議長に選任もされてきた。不幸な子供が出来ないようにキリスト教世界ではタブーだった避妊の機会を促進する事から初めて、妊娠中絶合法化を成功させた。

左:40歳の時 右:80歳の時
左:40歳の時 右:80歳の時

他に知られる存在になると、たいがいの人は自分をより大きく見せて、好かれようとする。ところが彼女はいつも落ち着いて、愛想笑いなどしない。底に秘めた人間愛は周囲を納得させる力を持つ。今は3人の息子と孫たちに囲まれて、世間並みに幸せと言えるかも知れないが、彼女の瞳の底にはいつも不平等社会への悲しみがあるような気がする。それは彼女の腕に今も刻印されている強制収容所の囚人番号“78651”の数字のせいだろうか。ナチの理不尽が、かえって生きる意味を悟らせた。

著書「ひとつの人生」
著書「ひとつの人生」

信念の命ずるままに全力を尽くしている人は、それだけで若さが内から沸いてくる。83才という年齢を停止させて、賢者の知恵をいただきたいと感じさせる女性だ。

 

そういえば、フランスでも昨年末から93歳のステファン・エッセル氏(Séphan Hessel)の“Indignez-Vous”《=「憤慨せよ」不正を受け入れるな》という平易な小冊紙がベストセラー入りした。ベルリン生まれでナチ収容所を生き延びてフランスに帰化。各国大使を務め、国連で活躍した。この人も生涯健全なレジスタンス人である。地方都市に隠棲して、知り合いの夫婦が屋根裏部屋から出版した本に光があたった。

 

アカデミー会員、ベストセラーと高望みはしないが、人間、流されて無意識に暮らしていては、美しい人にはなれないらしい。

 

2011.1.5