自由に、ひたむきに 〜カロル・ブーケ(Carole Bouquet)〜

2年前の10月、カロルは夜会のはねた後アパルトマンに向かう近道を歩いていた。証券取引所近くを通り抜ける時、子供を含めた50人を下らない女性達が道にあふれていた。 ダンボールを敷いて路上にしゃがんだり、寝転んだりしている。「なんだろう。この夜中に寒いだろうに」と通りすぎたが、気になって回れ右をして引き返した。

 

滞在許可証を持たぬ不法入国者たちがアパートを追い出されて、行き場がなく屋根を求めて教会を占拠したのを知った。彼女が見たのは教会からあふれ出て野宿覚悟を余儀なくされた人々だった。夜会服を気にしながらも、カロルはそこに座わりこんで彼女等の身の上話をきいた。 西ヨーロッパ各国が抱えている、多すぎる移民は滞在許可がおりないために、少ない賃金で不法労働者にしかなれない。都市に集中するこれらの人口をフランス政府が養ったり、住まいを与えるとしても限度がある。カロルはこの夜を境に、ドイツ・イタリア・スペイン政府も対策を苦慮して、ほとんど解決策のない泥沼状態を繰り返している問題にハンパでないエネルギーをそそぐようになった。

カロル・ブーケ52歳。173cm。「007」のボンド・ガール、シャネルN5の広告塔、映画女優として常に時の人だ。ストレートな髪を横分けにして、10歳は若く見える。最初の夫は映画プロデューサー、ジャン=ピエール・ラスマン。彼は47歳で亡くなるまで、パリの高級ホテル「プラザ・アテネ」に住み続けたが、今は27歳になる息子が生まれた時から二人は居だけは別にしていた。

2番目の写真家の夫との間に、息子(現在21歳)をもうけて死別。3回目の共生が4年で解消して、4番目の男としてフランス一存在感のある俳優ドパルデユーと7年ほど一緒だったが、友達づきあいに移行した。 ボルドーにぶどう畑を持つドパルデユーの影響か、カロルもシシリア島の西にある小島で作る白ワイン畑のオーナーである。

 

それにしても、どうしてこんなに一筋縄ではいかないという定評ある男たちばかりと、関係ができてしまったのだろう。自分の好きな事には素晴らしい情熱で突き進む、名もある一流男達。だが、生活を築いていくという堅実なものを無視した男たちに惚れるというのは、カロル自身にもその要素があるのかもしれない。それぞれの夫との共生は、天才と気狂いを相手にしているようで普通のエネルギーなら消耗して、自分を見失う。ところがカロルは平然として、相手と自分の立場を両立させてきた。パリで生まれて、3歳の時両親が別れて、父親に育てられた。演劇学校を卒業して女優の道をすすんだが、ソルボンヌで哲学聴講生になっていた時期もある。

 

生い立ちが彼女に潜在していた大地のような母性愛をはぐくみ、どこかが子供のような一風変わった男たちを大きな愛でつつんだのだろう、、、 母の愛は強く、無私である。私にはそうとしか思えない。ショパンやリルケと暮らしたジョルジュ・サンドの現代版のようだ。

 

そして、今その愛は、ホームレスや不遇な子供達にそそがれている(La Voix de  L’enfant=「子供の声」慈善団体)。年の冬、ホームレスの赤いテントが何百とセーヌ河畔に並んで、X’mas気分のパリ人に「考え事」のプレゼントをした。 警察が追い払えば済む問題ではない。カロルが映画で稼ぐお金は、こういうところへも流れているらしい。アウトローの人権を擁護しつつ、自分が無価値でないことを自身で確認したいのだろうか。その心は、見かけの若さばかりを追いかけるのでなく、自分の熟年を受け入れて、彼女らしい精神の平和を求めているのだ。私には見上げた心がけと写る。

◀X’mas前の抗議デモ(ドン・キショットの会=2006年、社会の不平等や不幸な子供の保護をボランテアの方針としてフランスで発足。)

セーヌ河岸に現れた住居のない人用200の赤テント(2008 年12月)

 

 

2009.12.11