ジャーナリスト魂

フローランス・オウブナ(Florence Aubenas)49歳。ジャーナリスト。明るい緑の瞳はどんな時にも微笑む準備ができている。いつも「何とかなる」と運命を切り開く力をそなえているように見える。2005年イラク取材中に捕虜になり、フランス・ジャーナリスト界は、彼女を救い出すために一斉に筆を取って市民協力や政治介入を働きかけ続けた。世界を股にかけて、命を張って取材に飛び回る同胞の不幸な出来事に寄せる不安は他人事ではなかった。157日間の監禁中、パリ市庁舎前にフローランスの写真入り大天幕が下げられ、命の無事を祈った。

フランスはこのところマスコミに女性特派員が実に多く活躍している。良い仕事を堅実にこなす実力派が何人もいる。言いたくないが、日本のジャーナリストが、会社や政界の笠の下で、上の意向をばかりを伺っているようなのとは、気構えが違う。私は1年に1度は帰郷するが、その度にNHKを筆頭に海外報道のお粗末さに腹が立つ。日本では外国通信社からニュースを買うのが、海外特派員かと思えるほど海外事情を把握しない底の浅いものか、ニュース・ソース国の色がかかった報道にあきれている。外交下手な日本に、追い討ちをかけるような報道しかしないなら、世界の真実は何も見えてこないではないか。まあ、私が怒っていても仕方がない。

 

 

◀左:パリ市庁舎前に張り出される天幕の準備
 (2005年)
 右:解放後、帰仏数日後の記者会見

フローランスは、”パリの朝“(=Le Matin de Paris)、”新経済人”(=Le Nouvel Economiste)を経て、この20年間は日刊紙“リベラシオン”で、特集記事を担当していた。ルワンダ、コソボ、アルジェリア、アフガニスタン、イラクに潜伏しながら、民族を肌で知り、人間の博愛を訴える重い取材をしてきた。イラクから解放された日、彼女が現地入りした取材班に一番先に聞いたのは、拉致された6ヶ月前に彼女の車を運転していたイラク人の安否だった。私は感激した。「素晴らしいジャーナリストだ」と、そう思えた。その折に、彼女の姉が写真専門の研究家で、その美や歴史についての多くの書物を出版していると知った。うらやましい姉妹だ。

 

さて、イラクの人質からフランスに戻って身辺が落ち着くと、記者生活を再開させて、2009年9月 “ヌーベル・オブザバター”誌に移籍。しばらくすると、「休暇をとってモロッコに行って小説を書いているらしい」と噂が流れた。実は第二次世界大戦終末、米英仏同盟軍が「ノルマンデー上陸作戦」と呼んだ、仏に人は忘れられない対ドイツ激戦地として有名な町、パリ北西部のカーン市に3ヶ月暮らしていた。2010年2月 “Quai de Ouistreham”(=ウイストルハム波止場)の新刊本で皆が驚かされた。彼女の休暇というのは、政府が定める最低労働賃金以下で働かなければ職にありつけない人々と日雇いの生活を共にし、失業者として職安に足を運び、フェリー・ボートでお手伝いさんをした、その体験談を綴ったのだ。貧民同士の助け合いや、差別への怒り、怠け根性、失業よりも、たとえ小額でも働ける幸せの泣き笑い、彼女が見た人間の原寸を記録した。うちとけて、皮肉な眼つきをしない彼女だからこそ、彼らの社会に受け入れられた。これも、捨て身になってした社会への問いかけなのだ。

 

いやはや、何たる勇気。自然に湧き上る人間愛のジャーナリスト魂だ。トシを取らない秘訣??これだけ「生」を燃焼していれば、やりたい仕事を続けるだけで若さは保障されているのではないかと、不肖私には思える。

 

 

◀ 上:OIP(国連機関に属す刑務所環境改善国際運動)の会長を務める
 下:イラクから身代金請求のため、生き証拠として仏政府に送られた時

 

 

 

2010.4.12