やさしさの恩返し

観葉植物

新緑の季節を迎え、わが家の観葉植物たちも日ごとにぐんぐんと枝葉を伸ばし、ふと気がつけば、アイビーの葉と葉のあいだから小さな小さなハート型の葉が生えている。このアイビーの鉢植えは2年ちょっと前に今の家へと引っ越して来たとき、八方塞がりの自分に「○○ちゃん! がんばって!」と励ましのプレゼントに買ったもの。落ち込んだときには「○○ちゃん!」と地方暮らしをしていたころの私の愛称を呟いて、自分を励ますのだ。

 

私は30代の2年近くを東京から遠く離れ、海と山に囲まれた大自然の中で、その後の数年間は中部地方の海辺の街で暮らした。最初の転居のときは、東京生まれ、東京育ちのキャリアウーマン気どりだった私は、すべてのことに戸惑い、泣いたり怒ったりの毎日だった。近所の人たちのどこまでも温かい迎え入れと、真のやさしさ、そして美しい大自然がなかったら、とっとと東京へ逃げ帰っていたにちがいない。隣に住むお婆ちゃんに、特産のスダチのお酢でしめた鯵のお寿司の作り方を習ったり、ジャガイモの定植を教わって、3歳の息子と植えてみたり、足手まといになりながら養鶏場を手伝い、産みたての卵で毎日のようにシフォンケーキを焼いて近所の子供たちに食べさせたり。今想い出せば、かけがえのない、すばらしい体験をさせてもらった。

 

しかし、仲良くしていた近所のおじさんに「○○子(私の名前)さんは『○○ちゃん』とは呼びにくいね」と言われたことは、チクリと胸に突き刺さった。そう言われてみれば、女性は皆「ちゃんづけ」で呼ばれているのに、私のことは、だれもちゃんづけでは呼んでくれない。それは、私の眼がいつまでも東京を向いて、地域の人たちとは一線を画しておきたい思いがあったからだ。結局、私からはなんの働きかけもできず、ひたすら周りの人たちの好意に甘え、わがまま勝手に過ごしているうちに1年10ヶ月が過ぎ、中部地方へと引っ越した。

 

今度は覚悟を決めて挑んだ私は、東京を引きずることもなく、仕事も遊びも精一杯楽しむことができた。朝から晩、ときには夜中までも、「水を得た魚のよう」と言われるほどいきいきと働いた。そして、地域の活動にも積極的に参加したことで知り合った友人たちと、奈良や琵琶湖、伊勢志摩へと、暇をみつけては遊びに行った。気づけば私は「○○ちゃん」と呼ばれ、私の名前を「さんづけ」で呼ぶ人は居なかった。そして、あっという間にときは過ぎ、泣く泣く東京へ帰らなければならない日が来てしまったのだ。今振り返ってみると、地方で過ごした数年間に、私は一生分の栄養を心とカラダに蓄え、一生分のやさしさを周りの人たちから受けたのだと思う。

 

このあいだ湘南の実家へ行き、姉と話していたら仕事の話になった。「これからは、なにか人の役にたつ仕事がしたいわね!」と姉が言った。「私もその方向で考えているよ」と言うと「だったらいいじゃないの!」と間髪を入れずに言われた。

 

そうなんです! 疲れたのなんのと弱音など吐いてないで、今まで受けてきたやさしさを、50代のこれからは還元していかなければ! 人生90年として、折り返し点をやっと少し過ぎたのだから、これからじっくりと、受けてきたものをお返ししていきましょうか!

 

2012.6.1