「樹」に「気」をもらう!

最近ある街へ通いはじめた私は、毎朝電車に10分乗った後、駅からバスに乗らずに17、8分かけて仕事場まで歩いている。たまに寝坊をしてバスで通勤した日は、どうも調子が出ない。気合いが入らない。そう、この街を歩くと、私の中にいい「気」が入ってくるのだ。

住宅街の緑

駅前の商店街を抜けて住宅街を少し歩くと、道幅がぐんと拡がり緑がどんどん多くなっていく。大きな樹の生い茂る「保護樹林」や公園、そしてポツリポツリと「生産緑地地区」と書かれた畑や果樹園もある。私の現在住んでいる都心に近い街から30分もかからずに、こんなに豊かな自然環境に出会えるなんて驚きだ。碁盤の目のように真っ直ぐに伸びた道は、アップダウンが少ないので見通しがよく、どこまでも続く生け垣や庭に茂った数々の樹木を眺めることができる。その景色はどこか現実離れして見えるほどゆったりとしていて、古きよき時代に迷い込んだような錯覚に陥る。


実は私はこの街で生まれ、19歳まで育ったのだが、今まで昔のことを思い出すことはあまりなかった。しかし、縁あってこの街に再び触れてみると、私がこの街で過ごした昭和のころの雰囲気がそっくりそのまま残っていることに気づかされたのだ。じっくりと見てみると、大きな敷地にゆったりと開放的に建てられた家々、広い庭先の大きな木々と生け垣の織り成す圧倒的な緑の多さに加え、集合住宅が少なく樹木の背を超す建物がほとんどないことが、レトロな雰囲気を醸し出している原因のようだ。上を向けば空と樹しか見えない。


そういえば子供のころの私は、庭の大きな樹の下から空ばかりを見上げていた。前々から、大きな樹のある風景に無類の魅力を感じてしまう自分を不思議に思っていた。今住んでいるマンションの部屋を決めたのも部屋の窓から近くのお寺の雑木林を望むことができたからだ。その前の家も、またその前の家からも大きな木立が見わたせた。最寄りの駅から多少遠かろうが、多少の騒音があろうが、大きな樹が見えればOKなのだ。


大きな樹を見るだけで、勇気や元気、たくさんの「気」をもらうことができた。それが、生まれ育ったこの街のせいだったのだと50歳を過ぎて気づいた訳だ。自分のルーツの一つを探し当て、やっと地に足が着いたような気がしている。大地に足が着いたのだから、これまで以上に「樹」から「気」をたくさんもらえるのではないか!?と期待しているのだが・・・

 

 

2011.11.23